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中外日報に掲載された記事です。

武道「和良久」代表 前田 比良聖氏
いかにして相手を活かすか。
戦わないための武道和良久 (ワラク) は和合精神に基づく。 新日本空手道連盟 「正道会館」 の総本部師範をつとめた前田比良聖
(ヒラマサ) 氏は、 相手を倒すためだけに鍛え抜いた拳を剱 (ツルギ) に握りかえ、 戦いの矛をおさめた。 剣聖・佐々木小次郎の木剱に導かれながら。燕返しを生んだ螺旋運動や大本に伝わった言霊学を手がかりに苦闘すること十七年。
和良久によって復活した神代の武道は、 破邪顕正の剱が繰り出す鎮魂帰神の神業だった。 いま 「武蔵」 型武道精神に象徴される利己主義の闇が世界を覆う。
和合して共に創り出す小次郎の剱こそが、 新たな時代へ岩戸を開く光となるであろう。
(平成15年4月26日の中外日報紙面から) |
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前田 昭和四十二年、 十歳の時。 そのうち、
遠慮なく相手にぶつける極真会館に惹かれ、 大山倍達館長のいる東京まで通った。 大山館長から指示され、 十七歳だった私は初めて関西に極真会館の道場をつくった。
前田 極真の中で私が目で見て一番力があると思った四国の芦原先生に、
高校卒業後すぐ内弟子になった。
前田 芦原先生は大山館長の空手と違い円運動を使い、
合気道的な要素があった。 決してケンカ空手などではなかった。 私は内弟子の最後の生き残り。 俺が居ない時は前田に聞け、 と芦原先生から言って頂いた。
その後、 極真を辞めて、 正道会館の立ち上げに関わった (昭和五十五年)。
前田 アメリカで大島 (つとむ) という空手の先生と出会った。
木の棒のようなものを持っておられた。 ほしいと思ったその木剱が、 私の運命を変える導きとなった。
前田 正道会館の第一回トーナメント (昭和五十八年開催)
に出場するため帰国し、 南禅寺慈氏院にお世話になった。 裏山で滝に打たれたり、 坐禅を組んだり、 山に籠もったり。 そうするうち別の世界が見えてきて、
戦う気が薄れていった。 |
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