特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座578 稽古はお祭り事

私は、稽古は一つのお祭り事と考えています。

お祭り事というのは、神と人とが
「全く釣り合わせ」られる状態のことであります。

稽古そのものの意味が「いにしえを思い偲ぶ」
ものでありますので、稽古に必要なのは
「ドタン、バタン」と言った喧騒な雰囲気などではなく、

凛とした背筋の伸びる雰囲気をもって、
しかも澄み切った静寂の中で鎮魂をなせる
質の高い環境創りが最も重要であるように
思うのです。

そこには新たな工夫を行うのではなく、
ひたすら、忠実な古(いにしえ)の技の復活を願った、
祈りにみちみちたものでなければと思っています。

言い換えれば、稽古と言いますのは、
どれだけの昔にタイムスリップ出来たか・・・
と言うことに尽きます。

「スウアオエイ」と唱えるとき、私は太古の時代に
身を移したかのような気持ちになります。

稽古の中で、この「ス」の音域にまで遡れたら
稽古は成功ではないかと思います。

そのためには、
稽古をいたずらに騒々しいものにしてしまわず、
また行き当たりばったりの思いつきで行うのではなく、

やはり「礼」で始まって「礼」で終わるのですから、
どうせやるなら、これはただ頭を下げる会釈程度の
「礼」ではなく、神様に対し、ご挨拶と祈願を凝らす
きっちりとした「礼拝」であらねばと思うのです。

私たちの国は何より「礼」を重んずる国です。
それが失われたらこの国に未来はありません。

近年それが外国の風潮に押され、
消えつつあります。

横のつながりを重んずるあまり、縦の、
つまり上下のバランスが崩壊し始めました。

礼をする時、頭や体が上下します。
しかし、礼をしないと上下の動きも消えます。

上下の動きは「丹田」を活性化させます。
丹田が働き出すと、そこに神的秩序が
発生します。

上下の崩壊は、言霊で言えば「ア」と「オ」の崩壊であり、
日本国民の要である丹田の消失です。

上下は、天地であります。
天は「ア」、地は「オ」です。

「ア」は幸魂、「オ」は和魂で、
上下のバランスが崩れたと言うのは、
愛と親との崩壊を意味しています。

天地は一致するもので、
天地が一致する力を「ウ」と言い、
天地が一致(神人一致)すると、初めて左右、
つまり横の関係(人間関係)が生まれます。

この横が水と火であり、これを「エ」と「イ」と言います。

「アオウエイ」とは、天地結水火(てんちけっすいか)
のことであり、「天と地を結ぶ水と火」ということです。

天地結水火とは、神人合一してこそ、
人は無限の権力を発揮することが出来るのだ・・・
ということを意味しています。

学校でも、会社でも、なんでも友達関係(横)にしたてて
秩序(上下)がまったく失せてしまいました。

とうとう、この国が骨格の弱い国に
成り果ててしまいました。

外国が、日本と違って
自由で壁のない人間関係があるから
日本より進んでいる・・・と言う人は、
本当の日本ことを知らない方です。

そんなに外国が進んでいるなら、
なぜ外国に戦争や犯罪が絶えないのでしょう?

上は下を心から労わり、下は上を心から慕う、
という態度が礼に表れます。

わが国の人と人との細密な関係を気遣った礼の作法は、
本当に世界に類を見ない神秘的とも言える
文化であると思います。

この礼を重んずる秩序こそ、
和合世界の基であるのです。

いにしえより定めらた法式に乗っ取って、威儀を正し、
きちんと礼拝を行う時、私たちは思わず心と身の
引き締まるのを覚えます。

これは私たち日本人のDNAに
スイッチが入った瞬間だと思います。

私たち日本国民は、世界の民族に成り代わって、
まことの神に礼拝をするために生まれてきた
民族です。

その手習いが和良久によってなされれば、
和良久の使命の一つが遂行されていると言えます。

さて、神前礼拝に際しては、以下のような気持ちで
手を合わせます。

1、今日もこうして元気で稽古に臨めることの感謝。

1、これから神様に稽古を行うことのお許し。

1、この稽古によって心身が清まり魂の向上を願う。

1、皆と水火を合わせ楽しく稽古できる喜び。

1、自分が稽古する技が全人類を救う技となりますよう。

礼拝をもってますます自力を高め、
強い他力が加わることが大事かと思います。

この厳粛なる「神前礼拝」に先立ち、
略式なりとも心身を清めておくことが肝要です。

それは以下のような心構えかと存じます。

1、稽古着の乱れを正す

1、稽古着と足袋はいつも清潔にしておく

1、髪の毛を整え、無精髭は剃る

1、呼吸がよく通るよう鼻の穴を掃除しておく

1、手と口をすすいでおく

1、背筋を伸ばし姿勢正しく

1、私語を慎む

1、神前に座れば正座瞑目し、心を鎮めて礼拝の始まりを待つ

・・・これが「神武」和良久に入る前の心構えであります。

そして、一通りの稽古が終われば、
また神様の前に額づき、感謝と祈りをささげるのです。

このように誠実と、潔白をもって日々を過ごすなら、
神かならず守りたまいて平安な人生を歩めること
疑いのないものであります。

人は、誰でも、ある定められた法則にしたがって
生きるならば必ず至高の存在の加護を受け、
その目的を達成するようにプログラムされているのです。

不運な人などこの世にいません。