特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座581 スポーツと武道の身体操作の違い(1)

スポーツも武道も同じように体を鍛える
ジャンルだからと言って、
スポーツをする人は武道をやっても
きっとすごいんだろう・・・

また武道をやっている人も
スポーツをやらせたら、きっと
飛びぬけた身体能力を発揮するだろう・・・

そう思っておられる諸氏が多い。

さて、和良久の皆さんは、
しばらく和良久を稽古されてどう思われるだろうか?

同じ体を使うんだから一緒とお思いだろうか。

今回はこのことを考えてみよう。

スポーツと武道。

それは外国文化と日本文化との違いも
言えるものである。

スポーツは外国の運動法。
武道は日本の身体操作法。

さあ、まずスポーツであるが、
スポーツは体をパーツとして考える。

競技に応じた運動に適応するために
体の各器官をバラバラに考えてみる。

腕の力を強くする。
脚の力を強くする。
背筋を、腹筋を強くする。

という風に、運動の形態によって
強化する部分を変えていくのだ。

そうして、競技の種類に応じた体を
創り上げていく。

体操選手、水泳選手、陸上選手・・・
皆、体型が競技にあった
独特な体型になっていく。

競技の大会になると、本当に同じような
体つきの人間がまるでクローンのように
居並ぶのは私には異様に映る。

それは、まるで動物園のようだ。

柔道などはゴリラのような、
水泳などは魚のような、
陸上などはチーターのような、
体操はチンパンジーのような・・・

そんな体つき(いや、顔つきまでも)に
変化させなければ効率よく戦えない世界が
スポーツなのである。

走るための脚、投げるための腕、
それに見合う筋力を強化していく課程に
おいて体は自然界に生息する動物に
近づいていく。

それは気持ちまでも変えていく。

よい例がヨガ、気功などいまや世界中に
健康ブームを巻き起こしている代物である。

ヨガや気功などは、動物の姿の真似のみならず、
呼吸の仕方まで動物のように
行うことを基本としている。

確かに動物の真似を行うと即効性が速い。

だが、一時は健康になった気がするであろうが、
実はこれが危ない。

人が動物の真似をすると精神までも獣に
変わることを承知だろうか。

死んだ後のことを考えてみるがいい。
水火(呼吸)を動物に合わせて生きるということが、
死後一体どういった世界につながるかと言うことを。

確かに獣はいつも健康だ。
自分が生きるために、まわりを食い尽くす
弱肉強食の世界に生きる能力を
天賦的に与えられている。

しかし、人は違う。

人は人としての生きる道が独自に
与えられているのだ。

進化論で言う、生命の進化は微生物から始まり
水中生活から陸上生活に変化し、
そして猿から人類になったなどというが、
それは違う。

人は人として誕生した。
猿から人間に進化などしていない。

神から直接に水火を与えられて誕生した。

だから、人は獣に堕落してはならない。

人は人としての考え方と、行動がある。
それは神に等しい心と行動である。

体の使い方も、人がより人らしく動くための
身体操作法がある。

人の動きは神からくるもので
なくてはならない。

それが日本の生活様式に
繁栄されている。

日本伝統文化に受け継がれる「腰を中心」
とした美しい立ち居振る舞いなど、
腰を中心とした動きは「腹」の文化を発達させた。

「腹」は丹田であり、
丹田はエネルギーの蓄電所である。

腰と言う発電所から発生した電力が、
丹田に蓄電されるのだ。

それが肉体と精神をコントロールするのだ。