特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座584 入門一科の稽古について

1、八力
2、八剱
3、発声

・・・以上の入門一科の稽古も
馴染んでいただいた頃と思います。

補足をお知らせいたします。
ことに指導員、世話人の皆様には
ご留意下さい。

和良久にとって八力の型は、基礎体力、
螺旋の技の使いこなしなどの養成のために
非常に重要な型であります。

この型の稽古で入門一科では、
ゆっくり正確に行っていますが、
その速さや回数について補足します。

稽古内において、回数は、何度行っても
けっこうです。

また速さは、電車の速度が上がるように
ゆっくりと、じわじわと上げていってください。

決して慌ててはなりません。

実例・・・

●例えば、最初ゆっくりと、各ポイントで
静止させて行います。
これはかなり時間がかかりますが、
大切なので続けて下さい。

●約2回目~3回目には、同じようにゆっくり
ではありますが、発声時以外は線を切らずに
流れるように動きます。

●約4回目以降は、発声しながら動きます。

息継ぎが難しいですが、
慣れれば容易に楽しく行えます。

これなどは、最初の「天地」から最後の「イ」
まで流れをまったく切ることなく動き続けます。

回数は皆が納得できるまで
指導してあげてください。

八剱の型も特に回数を限定せず、何度でも
何度でもトライし、根気よく指導して下さい。

時により、八力の稽古だけで
終わってしまっても良いです。

さて、稽古する者の心構えですが、
以下のことに心がけてください。

「団体で稽古を行うときは、
一人でやるつもりで行う。

一人で行うときには、
大勢でやっているつもりで行う」

大勢で稽古する時、長い期間稽古されている
にも関わらず、いまだに指導者の方ばかり見て
「真似」専門にされている方がいます。

有る程度型も理解してきたら、
もう少し、しっかりと「自分」を持ってください。

もっと自己を見つめてください。

私(前田)の方ばかりみて、
何もかも一緒に動こうとしないで、
動くタイミングと雰囲気だけをつかんで、
後は自分の体に神経を集中させて下さい。

武道は、自立心が大切です。
正確には「全体の中の自分を確立する」です。

八力の型を行う際の発声については、
たかが声といって馬鹿にされるかも
しれませんが。

声と体とはまったく比例します。

ですので、できるだけ元気よく
声を出してください。

蚊のなくような声を出す方がおられます。

あるときの稽古中、声が出ていないので
病気かと思って話かけたらよく声が出る健常者だった
・・・と言うことが最近ありました。

声は健康のバロメータです。

お願いです。
しっかり声を出してください。

声が出せることのありがたさを噛み締めて
下さい。声を出そうとも、実際ご病気で
出せない人もいらっしゃるのです。

八力の時、両腕を交差して組んでいますが、
この時、両手は仲良く同じ方向に向いて
動いているのではありません。

右手と左手は、水と火の関係です。

火と水は、お互い反発しあう力です。

反発しあうから、
本当の強い力が産み出されるのです。
ここをよく了解して下さい。

例えば、「ア」「イ」などの横の動きなどは
手を交差するとき手を左右に向け、
手の裏同士を合わせ合います。

この時、両手の裏同士で押し合います。

また、「オ」「エ」など縦の動きの時は、
下からなら両手を伏せて回し、
上からなら手を手前に向けたまま回します。

いずれにしても、両手は常に押し合っています。

そして、一回転の後「解」なら右手を左手で
押し下げます。「凝」はその逆です。

右手は上に上がろうとしています。
それを、主体が解は「吐く息」なので、
左手が勝って降りていきます。

「分」なら、両手が上に向きますが、
これは吸う息なので、右手が勝って留まろうとする
左手を押し上げているのです。

陰と陽、プラスとマイナス、男と女・・・など、
お互い反発しあいながら、
同時にお互いを認め合っているのです。

仲良しクラブではいけません。

万物は、役割と言うものがあるのです。

それぞれが自分の仕事をやり遂げ様と
しているのです。
自己を主張し、しかし相手を思いやってます。

これを体で学ぶのです。
八力がこれを教えてくれます。

八力は優れた「捻れ効果」をもって
体を引き締めます。

それは濡れタオルを絞るのにも似て
体を絞り上げます。

型をしっかり覚えて自分のものに
して下さい。

いつまでも人の方ばかり見て、
よそ見ばかりしていないで下さい。

「自己確立」を忘れないで下さい。

それと絶対「私には先輩のように動くのは
無理です」などの謙遜はたいがいにして下さい。

無理と言い続ける人は、
なにをやっても一生無理です。

出来ると信じている人は
やがて出来る日が訪れます。

人間のもつ可能性を否定することは、
神を否定するに同じです。

謙虚なのもの大概です。

私のような・・・ではなく、
私にだって・・・です。

自分を見下げ過ぎる人は、
きっと他の人も見下げる人です。

人間のもつ可能性に水を差すような
歯の浮くような謙遜言葉を聴くのは
今からやめましょう。

大言壮語する人も困ったものですが、
謙遜ばかり言う人も困ったものです。

もう少し、黙って淡々としていてほしいと
思います。

謙遜して無駄口叩く暇があったら、
一つでも型をこなしてほしいと思います。

それと、口うるさくなりますが、
入門間もない方でこんな人が時々いる。

「私はどんな稽古をしたらいいのでしょう?」
これほどの愚問はないと思います。

右も左も分からないのに、一体私が
「こうこうして稽古したらいい」と言えば
出来るというのでしょうか?

なぜ、みんなと今やっている稽古を
一心になって学ぼうとしないのでしょう。

私は空手の内弟子時代、
先生に対し「何を稽古すればいいのでしょう」
などと質問したことはおろか、

話などしたことはありませんでした。

ひたすら「押忍(おす)」の繰り返しでした。

「押忍」とは空手の世界で返事や挨拶に
用いられる言葉ですが、

先生も先輩も「押忍」しか
言わせていただけませんでした。

妙に言い訳をしかけたりすると
「おまえは10年早いんだよ」と
物凄くしかられたものでした。

これで「耐える」ということを学びました。

そして10年耐えて、一生懸命に稽古を積み、
先輩のレベルを超え、組織的にも貢献し、

ようやく先生の傍近く行ける身分になった時
初めて「押忍」だけでなく、少しは意見を
言わせてもらえるようになりました。

そのときは先生も素直に聞いてくれたものでした。

やはりお互いが話し合えるほどのレベルになって
会話が成立することが、その時に分かりました。

いま考えると初心者には「押忍」という返事オンリーに
強要させるような「忍耐の時代」も経なければ
いけないのかなと思います。

耐えることもしないで、稽古の意義も知らないで、
先人の深い道も理解しないで・・・

言いたいことを言う人が増えてくるのは、
まるで今の学校の教師と生徒の関係のようです。

先生と生徒は友達ではありません。

上下の区別をつけず、馴れ馴れしくして、
それが進んだ教育というのでしょうか。

この日本にも、けじめのない外国型人間が
増えてきているのも辛抱、忍耐が出来てない
からでしょう。

言いたいことを言う前に「黙って学べ」です。

空手時代に弟子たちに「押忍」と言わせた時代が
いま非常に懐かしく思います。

人権とか和合を口にする前に、
やることをやれです。

出来もしないで口で誤魔化すなということです。

皆ももう一度『静かに、静かに自分を磨く』
ということ、心して下さい。

私ももっとしっかりと頑張ります。