特定非営利活動法人 武道和良久

特定非営利活動法人 武道和良久

誌上講座

誌上講座601 世評

世の多くの批評家たちは、本質を見極め
ず物言います。

・・・で、和良久に対してもおっしゃって下さいます。

「和良久は、一般向けではない。
もっと大衆向けに分かりやすくするべきだ」

「和良久は、宗教色が強くて、とっつきにくい」

・・・などと評されています。

よくお分かりで。
実はその通りなのです。

和良久は一般向けに発信したのではなく
真剣に国を思う志ある人たちのための稽古
として世に出したのです。

また宗教色の問題ですが、武道から宗教色を
消しては武道でなくなり、たんなる格闘技に
成り下がってしまいます。

神への信仰なくしては道もなく、
魂の向上など望むべくもありません。

武は、神からの道であり、すなわち鎮魂法
であります。

また「道」と名のつくものはすべて宗教の本質的
な表現であることを忘れてはいけません。

よって武道とは、宗教の体的表現のひとつ
であると言えます。

私は、神の意思を地上に喧伝するもののふ育成
の鍛錬する部門であると承知しています。

その鍛錬法も、一切の工夫を加えることなく
神が定めた法則に乗っ取って鍛錬を
積むべきです。

技に工夫を加えることは、神への冒涜である
という信念です。

その法則とは「言霊」の水火の法則です。
神とは言霊そのものであります。

言霊の息吹の中に神はおわします。

言霊の探求こそ神を知る唯一の手段
であります。

ですから和良久は言霊の運用をもって
稽古を続けているのです。

世には、武道といっても、空手道、剣道、柔道
をはじめ、多種多様のものが林立しています。

強く逞しくなろうと思って始められる方には
勝敗を決するものなので、非常にとっつきやすい
ものでしょう。

いずれも最後に「道」と名はついていますが、
神を知らずに道は存在しません。

「うちでやっていることは宗教ではありません」
と宣伝するところを時折見かけます。

これは「うちは神を否定し、道を求めている
のではありません」と公言しているようなものです。

また武道以外にも、一般大衆向けの習い事は
山ほどあります。

健康法の類もそうです。
ヨガ、真向法、気功・・・など、
いつでも、どこでも気軽に出来るをキャッチフレーズに、
一般の方にもわかりやすい楽しい習い事が
沢山有ります。

すべて大衆向けに本質を消して、堅苦しさ、
難しさを排除してアレンジを加えて
世に出した習い事です。

それで健康になった方もいらっしゃるでしょう。
体力に自身をもった方もいらっしゃるでしょう。
けっこうなことだと思います。

しかし、よく考えてください。
すべてのこういった習い事の根源は、
実は武道から発しているということを。

武道の一般大衆化が、
こういった習い事を生み出したのです。

皆に分かりやすい道、普及への道、つまりフランチ
ャイズのように全国展開を選択するなら、
何かを捨てなければなりません。

物事は「芯」を抜かなければ物は移動せず、
よって広がらないという理からすると、

それは芯の無い、なんにでも融合できる
「骨なし」と化します。

「骨が無いから食べやすい」と言えば分かりやすい
でしょうか。

人は、堅苦しさがあっては人が寄り付かない・・・と
懸念します。

特に精神的な部分を削除しないと近寄りがたい、
と思うのでしょう。

大切なもの。

「魂」。
わが国であれば日本魂(やまとだましい)でしょう。

日本の魂・・・このもっとも大切なものを隠して、
消して一体何を伝えていこうとするのでしょう。

忍耐すること、秩序を守ること、正義を貫くこと、
礼を尽くすことなど・・・は、ある程度形を残して
いる向きもうかがえます。

しかし、この崇高な思いはどこから来たのか
という答えと、一体われわれはどこへ向かって
何をしようとしているのか、ということを
明確にしないで、いたずらに権力をほしいままに
普及の道を選択していいのでしょうか?

すべての道は神から来て神に帰する。
これが一番大切な部分であると思います。

和良久は、時代に逆行していると非難されても、
私はこの道をこのままの姿で貫いていきます。

一般大衆向けアレンジを加えるなどもってのほかです。
神の名を伏せるなどもってのほかです。

開き直りではありませんが、和良久が仮に
一般大衆の方々に賛美されるようなものであったなら、
恐らく私は考え込むでしょう。

また、和良久から宗教色が無くなったら
和良久でなくなります。

こういったものが日本にひとつくらいあっても
いいのではないでしょうか、と思うのです。

こういった私がやる稽古事ですから、
稽古人の皆さんには、随分迷惑をかけます。

でも、もう少しの辛抱です。

もう、そろそろ、いえすでに世界が動いています。

いま大衆で愛されているもの、重宝されているもの
の正体がどんなものであるかを皆が知るでしょう。

そして、神の実在を思い知らされる時が来ることを。

早々と深層心理がそれに気づき、
我知らず準備をされている人々がすでにいます。

そのときになって驚かないように。

とにかく大衆の心理に踊らされてはなりません。
神から眼をそむけてはなりません。

最初に戻りますが、この和良久に寄せられた
大衆化と宗教の二点の批評は、実は壁を乗り越える
もっとも、消してはならない
最大重要なポイントなのです。

さても世評をいただいたお陰で
自覚しなおすことができました。

ありがたいことです。
世の評論家たちに感謝します。