特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座604 和良久稽古人心得(2)

<稽古に臨んで>

稽古はいにしえを想い、いにしえの人たちが
どのような思いをもって、どのような動きを
したのかを偲んで鍛錬を積むことである

稽古に臨むにおいては、古人の意思を尊び、
その知恵と技を生かし、それを明るい未来に
つなぐべく努力すること

要約すれば、遠い神代にタイムスリップし、
祖先の祖先である神々たちの
讃美そのものである

また、一般にある武道のイメージと
稽古に対する考え方を改めるべきである

肉体的苦痛をともない、士気を高揚させるため
罵詈雑言が飛び交い、

汚れた稽古着服をまとって、
血と汗にまみれた中でこそ
鍛錬するのが稽古であると考える・・・

根性、根性と、根性さえあれば
精神が鍛えられると信じている

・・・それはいわゆる「稽古」というものではない

難行苦行をもって
はじめて悟りを得ることが出来るなどは
バラモンの思想そのものである

日本は違う
ここはインドではない

日本は神道、神の国である
言霊の法則をもって神の実在を覚り、

鎮魂帰神の法をもって
神様との交流を模索する国である

いにしえを偲ぶのが稽古であると言ったが
稽古とは何か、一言で言えと言われたら
「言霊の助けをかりて鎮魂帰神の法を行う」こと

それは祭典のである
「鎮魂祭」という祭典である

よって稽古は、極めて静かに厳かに、
和の水火を尊むものである

本当に心の向上を願うなら、
神と人との祭り合わせを行うしかない

人が人と競い合って、なんぞ霊的向上があろうや

祭典は神を中心とした厳かな場であり、
神と人との結びの技を行う所である

祭典に際しては、その列席するものは
心と体を清めるために禊(みそぎ)をなす

大事なことをなすとき、この禊をなして
後にことに臨むならば、必ず神の守護ある

<禊>

禊とは、「ミを削ぐ」ものであり、
ミとは、実、身、体、箕、水である
これ物質の言いなり

物質的要素を削ぎ、取り除き、清らかな心
を表に現すことである

心または体に付着せる
不浄不潔不遜なる思いや垢、
汚れをさっぱり洗い流すことである

つまり霊主体従の状態にすることである

この禊を厳格になすことは日常の中では
困難であるが、せめて以下の要領をもって
禊に代わるものとする

こと(ここであれば稽古)に当たる前に・・・

①心を落ち着かせて雑念を祓う
②手や顔を洗い、口をすすぎ、鼻の通りをよくする
③無精髭を剃り、頭髪を整える
④洗い清められた清浄な衣服(稽古着)、足袋を着す
⑤姿勢を正す

※②の、口や鼻をきれいにするというのは、
呼吸の通りを良くするということでもある

<稽古>

そして、稽古開始時間には、
先達(指導者)に合わせて礼拝、
次に互いに挨拶を交わして稽古を開始する

道にある者、何事も神様あっての自分である
という意識が大事である

まず神様に礼をし、そして人に礼をするという
順序を違えてはならない

稽古の内容は、
宇宙創造の音声「スウアオエイ」の言霊を
基本として稽古を進めていく

次に「75声」の言霊のはたらきを学ぶ

和良久稽古を簡単に言えば、
この「スウアオエイ」の基本音声と
「75声」の言霊のはたらきを学ぶ、
ということに尽きる

和良久は、言霊の実地活用のための修練である