特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座620「三つの水火合わせ」

人は、以下に記す三つの水火を合わせながら
生きています。

この三つのどれを除いても
人は人としての価値を失います。

しかし、この三つの水火を意識して生きていけば
人はすべてにおいて調和を取り戻し、
宇宙の秩序とリズムを知り、
人も自分も改めていとおしく大切に思うことでしょう。

人は、自分ひとりでは生きていくことは出来ません。
それはまったく不可能なことです。

人は人を助け、
助けられながら生きてゆく生き物です。
ここが獣とは大いに違うところです。

もし、自分は一人で生きてきたと言う人がいたなら
その言葉を放った瞬間から宇宙のリズムから引き離され、
その人は孤独な闇の世界に入っていくことになります。

逆に自分は自分という人と、自分以外の人と、
そして、この世界の総ての人たちのお陰で存在するのだ、
ということを自覚したとき、その人は、
もうそれだけで自動的に光の世界に進むよう
プログラムされます。

私は、和良久の人たちが、
三つの水火合わせを実践し、
それが多くの人たちに影響を及ぼし、

願わくば、それによって世の縁ある
すべての人々が人生を面白く、楽しく、
死ぬまで元気で健康に生きていかれることを
願ってやみません。

死ぬまで元気に生きていく、これが出来そうで
昨今なかなか出来ないことです。

私たちは生まれるときにも
精一杯のエネルギーを使ってこの世に生まれてきました。

それと同じように、死ぬときにもエネルギーが必要です。

天国に行くことを希うなら、
死ぬときにも天国へ行くのに弾みをつけるような
エネルギーをもっていることです。

死ぬ前にすでに死んでいるようなことでは寂しすぎます。

死ぬまで元気にいるということは、
死ぬためのエネルギーを残していけるように
と言うことです。

死ぬまで元気にいるためには、
三つの水火を合わせることが大いに力になるはずです。

さて三つの水火を合わせる、について
難しい話はやめにして簡略化して説明したいと思いますが、
うまく言えませんので、だらだらとなるかも知れません。

だらだらなると言う事は私自身が
いま一つ理解出来てないからだと思います。

でも、精一杯気持ちを込めて書きます。
ご容赦下さい。

さて、一つ目は、
自分自身との水火を合わるということです。

なかなか手ごわいのが、
この自分と水火を合わせるということかもしれません。

自分の心と体。思いと動き。
私たちは、これが一つになるように
日頃無意識に努めて生きています。

心と体が一体であるとき、人は中心の軸が形成され、
円やかな螺旋の波動が発生します。

この時は、輝くような健康に恵まれ、
人とも自然ともバランスのよい関係が出来ます。

毎日が楽しくて、
なんて素晴らしい人生と思えるのです。

しかし、思いと行動・・・これが一致していないと、
中心の軸が消え、螺旋の波動は発生せず、
その代わり鋭角の波動が発生し始めます。

そうなります精神と肉体に隔たりが生じ、
そこに摩擦や葛藤が発生します。

心に、焦り、不安、苛立ちなどが生じ、調和を失って
自己に対し、また周囲に対して攻撃的になります。

やがて取り返しのつかない病気や怪我に見舞われます。
それならまだしも、人災や天災などの災難までも
引き寄せてしまいます。

思いは形に現れ、形は思いを確かなものにしていきます。

これを剱の稽古に置き換えますと、
自分の扱う木剱の動きを自分の
思うように扱う、と言うことになります。

自分の体と木剱の動きを合わせる・・・と言うことです。

これは自力を高め、自己確立をなす大切な段階です。

二つ目は、自分と相手の水火を合わせることです。

相手の水火と自分の水火が合ってこそ
陰陽の和合が成立し、目的とする何かが生まれます。

剱の稽古では、向かい合った相手と、
うまく剱が組めるかどうかと言うことです。

人は支えあって生きています。
剱を組むのも、「人」の字のように、
剱を組んだときに相手を支えあう思いやりが大切です。

組むとは、互いの剱が丁度、
綺麗な十字形になることです。

自分の打つ力が強すぎても弱すぎても、
組んだときのお互いのバランスが崩れてしまいます。

他力を知り、それによって
自力が生かされることをここで覚ります。

人の愛を知るという段階です。

三つ目は、周囲、つまり社会全体との水火を合わせます。
自然を感じるということでもあります。

人は一人では生きてはいけません。
皆、何かの役割をもってお互いを生かしあっています。

剱の稽古では、大勢で稽古をする時、
一つの流れが生じます。

波のようなウェーブが全体を流れていきますので、
それにうまく乗ることです。

その流れに乗ることによって
自分の間違いを知ることができるのです。

剱の稽古においては、
皆が右に向かって旋回しているのに、
自分だけが反対へ向いていたら、
全体の秩序が乱れます。

それだけならまだしも、相手や、また隣の人に
怪我をさせてしまうことになります。
自分も傷つくことすらあります。

一人の勝手な行動が全体の秩序を乱します。
また全体にとって一人の存在は
とても大切であることを学びます。

個人は全体のためにあり、
全体は個人のためにあることを知ります。

これは一神即多神、多神即一神の宇宙の法則です。

それはさておいて、ここでは、
周りあっての自分であることを自覚する段階です。

もう一度整理します。

まず自分自身と仲良くやって下さい。
自己の心身の調和を取り戻すことです。

自分の心と体の一致です。

心どうし、体どうしを喧嘩させないで下さい。
病気や怪我をしないためにも。

次に、人と仲良くやって下さい。
人への思いやりです。
聖書に言う「隣人を愛せよ」です。

相対する者との調和です。

最後に、社会と仲良くやって下さい。
内に篭ることなく、視野を大きく
世界に向けて広げて下さい。

そして、その流れを感じ取って下さい。

たとえその社会が悪い状態であっても
決して見捨てることなく見守り続け、
改善に導いて上げてください。

現実から逃避しないで下さい。

生ある間はこの世界こそ、
何があろうと自分にとって
唯一の住処なのですから。

ここで踏ん張って下さい。
ここで穏やかにして落ち着いて下さい。
ここを離れて私たちの幸せは存在しません。

ここを自分にとって周囲にとって
最高の世界に変えていきましょう。

それは絶対可能です。
なぜなら私たちは幸せになるために
生まれてきたのですから。

これは疑いのないことです。

幸せとは、周囲が平和で
明るい状態であってこそ感じるものです。

たとえ自分が幸せでも、もし周囲が傷つき、
倒れ、泣き叫んでいたなら、
あなたは本当に幸せに思えるでしょうか。

周りがすべて、笑顔で包まれてこそ、
本当の自己の幸福感が味わえるものです。

人と言うもの、自分が幸せであるためには、
やはり周りが幸せであることが大切です。

自他ともに幸せになり、
そして本当の幸せを感じましょう。

周りに映るすべての事象が平和でありますように、
自分と会った総ての人たちが幸せであるように。

「ひと、ふた、み」と、たった三つ。

このたった三つの水火を合わせること。

これで宇宙の調和が生まれます。