特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座632「修行(2)」

日常、腰と腹を使わない輩
(丹田の活用を知らない者)は、
頭で考え、胸で計算をし、手先で行動をする。

これらの輩は一様に議論好きで、
勝負好きである。

上下の差を認めたくなく、先生や先輩、
また社長などと肩書きで呼ぶことに抵抗を感じ、
欧米流に流そうとする。

自己に自信のなきゆえである。

腹の出来ている者は、腹で考え、腰で行動する。

これらの人は、議論を好まず、
意味の無い勝負と言うものに興味が無い。

右か左かではなく、間をとる。
つまり中庸を旨とする。

なぜか?
それは腰は左右の手を連動して動かしてこそ
働く部分であるからである。

腰は螺旋運動をして動く。
螺旋は軸があってこそ円滑に動き、
左右、上下、前後に膨らんでくる。

つまり、こういうことをやっていると
「どっちが・・・」と言う選択肢を取らず、
総て一緒という感性が働く。

しかし、一緒であるが、
その区画はしっかり把握して認めており、
どこが上で、どこが下なのかと言う
上下の区別を誰より深く認識し、故に神を敬い、
人を立てる意識が強くなる。

よく相手の立場を思い、
相手の肩書きを尊敬の念を込めて言える。
これは、自信があるからできることである。

日本はもとより腹と腰の国である。

そして、その腹と腰を練り鍛えるための
方法を知る唯一の国である。

その方法とは「型」を学ぶことである。

型とは、礼儀、行儀、道議を形式化したものであり、
身につくまで何度も繰り返し鍛錬する。

これを型稽古と言う。

型を学ぶに議論は無い、質問も無い。
訳も分からず突然先生から叱られることは
当然のこと。

時に手を上げられ叩かれる。
なぜ?と言うのは無い。

そこに叱られる何かの原因があるからなのであり、
そんな原因など先生はいちいち言わない。

それは自分の胸に聞け・・・である。

思い当たることがない、と反論すれば
「こやつ、思い上がりおって」と張り飛ばされ、
「出て行け」と破門される。

そんな理不尽なと言われても、
そうやってこそ神技が伝承されてきた事実が
あることを忘れてはならない。

そういう一握りの職人たちによって
国が守られてきたのだ。

先生は理由も無く叩くことは無く、
しっかりとした理由があって叱るのだ。

しかし、いちいちその叩いた理由など言わない。

それを民主主義に反する、などと言う者がいたなら
まったく論外であり、稽古人にはなれない。

日本の伝統芸能に触れる程度なら許されるが、
本格的に伝統芸能を身に着けるなら、
いちいち起こる事象に理由など求めるなど許されない。

「さあ、皆さん、楽しく意見交換しましょう。
議論しましょう。そして皆でよい世の中を
作っていきましょう・・・」

このように「皆で、皆で」と言うのは
この国が何千年に渡って築いてきた歴史を
知らぬお方たちだ。

歓楽をむさぼる大衆の心に同調したら
一気に国の崩壊が始まることは明白である。

少数の正義有るものが神を敬い、道統を守り、
祀りを厳修してきたからこそ
和が保てたと言うことを知らないか。

われよしで、わがままな大衆の
欲からなる意見に耳を貸さず、
祭祀を固く守ってきた一塊の聖たちの
孤独な正義があってこそこの国は立ってきたのだ。

その国を滅ぼすのは、他国からの攻めなどではなく、
国の中から沸き起こる大衆の浅薄な思想から
なのであることを知らねばならない。

民衆の堕落が国を一発で崩壊させる。