特定非営利活動法人 武道和良久

特定非営利活動法人 武道和良久

誌上講座

誌上講座637「イタリア出向記(2)」

7月16日(日)晴れ

5時起床。
朝拝のあと朝食。

朝食は8時半なので、その間、荷物整理や
またインターネット接続にかかる。
しかし、なかなかうまくいかず四苦八苦。

やむなく島本さんに電話して
無事着いたことを報告。
稽古人の皆さんによろしくと
伝言をお願いする。

朝食は、岸先生夫妻と待ち合わせてとる。
徐々に、他の人たちも席についてくる。
賑やかで楽しい朝食となった。

ここの朝食はいたって軽い。
そう、おやつ感覚である。

ビスケット、菓子パンなどのほか、シリアル。
そして、小さなかわいいリンゴや
桃が置いてある程度である。

飲み物は、ジュース、
あと定番のエスプレッソやカフェラッテ。

ここへ来て「ラッテ」と言うのが
牛乳と言う意味であるということを
初めて知った。

楽しく語らいながら食事をとると言うのが、
この国の習慣らしい。
忙しい日本人にとっていかがなものか。

長い時間をかけて食べる。
食事の半分はしゃべっている。
すぐれたコミュニケーション術だと感心する。

「日本人は10分で食べちゃうよ」
と言うと皆驚いて笑ったいた。

私がテーブルナイフでりんごを剥いていると、
皆が珍しそうに眺める。

くるくるとりんごを回しながら
皮を剥くそのやり方が面白いと言う。

こちらでは、まずりんごを割ってから
皮を剥くのだと言う。
国が違えばりんごの剥き方まで
変わってくるのかとまた笑う。

このホテル、ご主人さんが実にいい。
何がいいかと言えば、
何もしないでにこにこしながら
ぶらぶらして、
ホテルの内外をうろうろしているのがいい。

雰囲気が憎めないのだ。
顔は、そう、あのマリオブラザースの髭面で、
髪の毛が金髪なのである。

あまりしゃべらず、ただ、にこにこぶらぶら、
にこにこぶらぶら。

ちょっと失礼だが、
例えば、水槽の中の魚ようなものか。
魚は魚でも、アンコウか、フグのような感じである。
居るだけで癒される。

しかし、その息子さんと娘さんは正反対によく働く。
額に汗して動く動く。

見ていると朝早くから、片手にお盆をもって、
夜遅くまで走りっぱなしである。

昨夜も、私たちは遅くまで
レストランで皆と話をしていた。
レストランも片付けて閉めなければならないのに、
嫌な顔一つせず「レモンチーノ!」と言って
息子さんが汗かきながらもって来てくれた。

「とってもおいしいよ!」
と言う、その飲み物、一口飲んでみると、
レモン味のとてもきついお酒だった。

私が眼を回した仕草をすると笑っていた。

さて、食後、ホテル前に集合。

昨日と同じく、車3台を駆って出発。
今日は「サン・マリノ」と言うところへ
行くと言う。

サン・マリノは、ここから約3時間のところで、
とっても美しい自然環境の整った
「独立国」である。

お城を中心に形成される小さな小さな国で、
イタリアや、周辺の国の人たちは
観光のため訪れるのだという。

美しい山々を車で駆け抜ける。
もちろん、エレナさんの運転である。
しかし元気な方である。

ところどころに、山頂に眼をやると古城が見え、
それはまるで宮崎アニメのような風景である。

抜けるほど青いその空から
ラピュタ城が姿を現しそうな感じである。

「ここがサンマリノです」
エレナさんが言う。フランスの方なのに詳しい。

ひなびた町に入ると、
フリーマーケットなどが立ち並ぶ。
色んな店がいろんな品物を出して商いしている。
明るい、素敵な町だ。

車は、ロープウェイ乗り場に着いた。
ロープウェイの先を見上げると
お城がそびえたっている。
ここから上までは車でいけない。

今日は日曜日。
観光客も沢山みえて、けっこう車が多い。

路上に並ぶ車の列に加わろうとするが、
幅寄せするにはけっこう狭い。
いや無理だなこれは・・・と私は思う。

しかし、エレナさんは偉い。

自分の車を駐車させるのに、
まず前に留まる車を自分の車で押して、
前の車を前にやり、

次に後ろに留まる車を、自分の車の後ろで押して
とうとう車を入れてしまった。

すごいことをするな・・・と唖然としていると、
何事もなかったように
エレナさんが車から降りてきた。

幸い前後の車にへこみ傷はなかったものの、
これは日本では考えられない出来事だった。

ロープウェイ乗り場にいたフラビオさんらは
手をふって、こっち、こっちと手招きしている。

そして、皆でロープウェイに乗って
山上のお城に向かった。

高く見えたが、乗れば速い。
わずか5~6分で到着。

海抜何メートルか知らないが、
かなり高いところにお城はそびえている。

ここが独立国サン・マリノである。

立派なお城の中には市役所があり、
周辺にはレストランや店が
所狭しと立ち並んでいる。

ところどころに衛兵が古式豊かな格好で、
銃を肩に身動きせずに立っている。

ちょっと昔にタイムスリップしたような気分だ。

お城から下を見れば、はるか向こうに海が広がる、
山が広がる、街が広がる。

まさにここは「天空の城」である。
ラピュタ伝説はこういったところから
生まれたのかと思った。

皆と、この小さな国を巡り歩いた。
ジェラートを食べながら、
珍しい品物が店に飾ってあるのを見ながら、
あっと言う間に時間が過ぎていった。

私は、数字やものの名称、
また人の名前を覚えるのが苦手である。

何年何月の何時に、どこそこで何と言うところで、
何という人が何をした・・・と
説明できればいいのだが勘弁願いたい。

だいたいこんな感じで・・・
と言う雰囲気だけで生きてきた人間だ。

私は雰囲気だけはよくつかめる。
そういった感じだけで記憶を残すのである。

このイタリアのことにしても、
雰囲気が体に残っているので、
その雰囲気からくる記憶を読み出して
これを書いている。

サン・マリノは今も眼を閉じなくても
目前にその光景が手にとるように展開していく。
それほど素晴らしいところだった。

(同時に血のにおいも感じたが、
これは長い戦いの中にあった
歴史がある城特有のものなのでしかたない)

さて、また3時間かけてペンナビリに帰ると、
早速次の行事が控えていた。

ペンナビリの町で開催されている
「オリエンタフェスタ」と言う
東洋の伝統芸能紹介の祭典に参加するのだ。

気功、ヨガ、合気道、指圧をはじめ、
様々な技が一堂に会する祭典に、
日本武道として和良久が選ばれた。

これは一般市民対象に催されるもので、
誰でも参加自由である。

イタリア内外をはじめ、
国外からも大勢の方が見学に見えられる。

和良久の演武は夕刻6時半に行われる。
会場前には私の写真の入った
和良久の大きなポスターが張られてある。

私は、少し早めに会場入りし、
会場正面に座って祝詞を奏上し、神に祈った。

昨日の山中の祈りのように、
日本の神々、そして
この国の守護神たちに心を委ねた。

『私に御言葉をお与え下さい
私にあなたの力をお貸しください
私の心をあなたの心と一つにして下さい』

『人々とともにあるように
人々の心が和むように

私の出会うすべての人が幸せになりますように
私の技を行うすべての人が
喜びに満ちますように』

私は眼を閉じ深い祈りの中に入った。
しばらくして、
神と共にある安堵感に包まれた。

会場は賑わいを見せ始めたにも関わらず、
極めて静かな時を味わった。

そして、もう大丈夫と思った。
これから思うこと、これから語ること、
これから行うことそのすべてが
神のなされることであると先に感謝できた。

場内は、フラビオさんや、
アルドさんたちの前宣伝も効いてか、
時間になったら入りきれないほどの満員となった。

ぎっしり入った会場の正面で、
私は正座をして開会を待った。
さあ、いよいよ和良久のヨーロッパ上陸の時だ。

アルドさんの合図で、アッテリアさんが
「先生はじめましょう」と私にささきかけた。

私は正座のまま両手をついて
皆さんにご挨拶した。

続いて、演武を行った。
八力、八剱、布留、八尋。

それで場の空気はしまった。
次に話に移った。

①やってみせる。
②言って聞かせる
③させてみる
④ほめる

こういう順序が人を動かす秘訣だと昔先生に聞いた。
それはいまでも心にとめ、実行している。

ヨーロッパに初めて
和良久を紹介させていただくことへの
感謝と感激を体一杯に表現し、
その後心のままに話をすすめた。

何を話そう、何をやろうなどと言う
計画はなかった。
皆の水火をみて、それに相応したことを
行おうと思った。

そして、それは神がなされることだと信じた。

参加者は、様々な層の方が見えておられる。
武道経験者、知識層、学者の方など、
その和良久に対する見方は色々である。

そのどれもに納得していただけるとは思えないが、
誠実と潔白をもってすれば
きっと私たちの思いは伝わると信じた。

何をどのようにしゃべったのか、
いまとなってははっきり思い出せないのが
正直なところである。

通訳のアッテリアさんは日本語が堪能である。
それはサッカーの中田選手の
通訳をしたほどのレベルである。

しかし、やはりイタリアの方でもあり、
日本独特な専門的な難しい語句は
控えねばならない。

アッテリアさんが通訳できる
分かりやすい言葉を用いて、
初めて、それが翻訳されて皆に伝わっていく。

言霊のこと、霊学のこと、武道の技術的なこと、
日本の風習など、日本人でも難解なことを
和良久は扱っているが、
それを外国の人々に分かりやすく伝えるという
勉強をさせていただいている有りがたさを思った。

そういったことも神様が力をくださった。

大きな紙を用意していただき、
それに絵や図を書きながら、
また身振り手振りを交えながら、一生懸命話す。
気迫が言葉を越える。

やって見せて、言って聞かせての次は、
「させてみせる」ことに入った。
いよいよ和良久体験である。

まず、これから行う型の
意義と効果を動きながら説明。

ちなみにこの動きは素手に変えれば
このようになる・・・と、
会場の中から大男を数名選び、
私の腕を力いっぱいつかませて、
ころころと転がせてみせる。

しかし、床に落ちる瞬間抱き起こす。

また、パンチをさせてみる、
それをはらって転がす。
これもさっきと同様、崩れる瞬間抱き起こす。

すべて八力の応用である。

不本意であるが、こういったことも
見せねばなるまいと覚悟をしていた。

「いいですか。武道は相手を傷つけたり、
また傷つけられたりしてはならないものです」

「倒れそうになったらこのように
抱き起こしてあげるのが武道です」

「決して相手を倒して
上から見下したりするような
傲慢な態度は武道家のすることではありません」

「私は、この地上から破壊的武力を撤廃させ、
和合の技を知らせるためにここにやってきました」

「神は言葉をもってこの世界を造りました。
それが言霊です。

だから、この世に平和をもたらすためには、
神の言葉~言霊の力をもってするしか
方法はありません」

「言霊には、行動、思考、言葉など
人が生きるに無くてはならない
すべての基本的法則をもっています」

「例えばアと言う言葉は、
喉で出す音で、胸式呼吸をもって発声し、

その音は愛であり、時計回りの
回って左右に行く力がはたらき、
右手が上に向き、左手は下に向きます。

腰が左右の回転を起こしているのです。
この時捻りを生じて右半身になるので、
右足前に出ます」

「このように各音には
はっきりとした行動法則があります。
言霊とは、単におまじないの言葉ではないのです。

誰でもこの法則を学んで
正しい神の働きを知ることが出来るのです」

・・・こういったことを説明のあと、
まず発声稽古を行った。

「スウアオエイ」の各音声を何度も行い、
皆が綺麗に声を出せる段になって、
いよいよ八力の型に入った。

声が出せると後は、
声に従った働きがおのずから
形造られていくようだ。

非常に順調に八力の動きが展開されていく。
何度か型を繰り返し腰が入ってきた。

さあ、時間も迫ってきた。

最後は鎮魂でしめようと思った。

正座し、鎮魂帰神の印を指導し、
天地結水火・・・と姿勢を正していただいた。

発声は75声を行うには時間がないので
「スウアオエイ」をもって行った。

この音声を共に繰り返し発声する。
皆と心が一つになっていくのが実感できた。

よし、これでいいだろう・・・
心の声が聞えたような気がした。それで終了にした。

「これで稽古を終わらせていただきます」

主催者への謝辞と、参加者への感謝を述べ、
一般公開演武は終わった。

終了後、しばらく拍手は鳴り止まず、私は戸惑った。
涙が知らずに出てきた。

もう一度深々と礼をし、
ようやく拍手は終えた、と同時に
今度は握手を求めて皆さんがやってきた。

「今日は来て本当に良かったです」
「和良久という武道に出会えて幸せです。
何もかも始めての体験です」

「日本がいかに素晴らしい国であるか分かりました」
「和良久はどこにいけば習うことが出来ますか」

「私は現在空手をやっていますが、
人を傷つけることが武道でないと知った以上、
もう空手は今日でやめます」

「あなたの手に触れさせてください。
そのあふれる力を分けて下さい」

「私たちはこのような技を待っていました」
「和良久はきっとヨーロッパに広がるでしょう」

このように多くの喜びの声を聞かせていただいた。

また日本人の方もおられた。

「私はこちらで結婚して、
いま会社をつくって頑張っています。
今日来てお話を聞き、体験してみて、
自分が日本人であることを
こんなに誇りに思ったことはありません」

感動に包まれた夜であった。

皆が会場から帰っていくのを待ったが、
皆、なかなか帰らない。
それほど興奮冷めやらぬ様子であった。

嬉しかった。

神様が言葉をくださり、
神様が私を動かしてくださった。
だから成功したと心から思えた。

皆が帰ったあと、
もう一度、神様に感謝の祈りを行った。

神様に何度も、何度も感謝の言葉を述べた。
何度言っても言い尽くせなかった。