特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座641「イタリア出向記(6)」

7月20日(木)晴れ

いよいよ帰国の日となった。
昨夜は皆と別れを惜しんだ。

涙、涙と思ったが、以外や以外。
この国の人々の持つ明るさとユーモアは
そんな湿っぽさなど吹き飛ばすものがあった。

国が寄り添った土地柄か、
古い時代から出会っちゃ別れ、別れちゃ出会う
と言う人の巡り合わせを体験し尽くした
免疫がそうさせるのではないかと思える。

小さい島国日本は、いったん別れたら
次に会えるのはいつの日かと言った
郷愁漂うムードをもってしまいがちであるが・・・。

DNAの違いかも知れない。
その呑気な感性に私も感化されたようだ。
不思議と今朝は涙も出ない。

また来るぞ、と寂しさよりも
決意と勇気が湧いてくるばかりだ。

私のフライトは、昼12時半。
到着した所と同じ
ボローニャ空港から出発の予定である。

すでにほとんどの稽古人たちは
車で自国に向けて出発している。
また2日、3日かけてご苦労さん。

一人一人の顔が眼に浮かび、無事到着を祈る。

今朝は5時起床。
夕べのうちにすっかり荷物も片付けておいたので、
部屋も綺麗なものだ。

洗面し、着替え、さあ、イタリア最後の神前礼拝。
天津祝詞、感謝祈願詞、讃美歌。

私を守る日本の神々、ここで世話になった
この国の神々、精霊たち・・・
心から感謝の祈りを捧げる。
ありがとうございました。

ことにサンフランチェスコの神霊に敬意を表す。

7時に朝食。
岸先生もレストランで待っていてくださった。

ここへ来るご縁を
つくってくださったことに対して
改めて感謝を申し上げる。

ホテルの皆さんも、私のそばによってきてくれ、
抱き合って別れを惜しんでくれる。

8時、ホテル前に迎えが来た。

フラビオさんと、アンジェラさん、
そしてその子供たち。
ニコラとニコラの恋人。

彼らが私を空港まで送ってくれるのだ。

通訳のアッテリアさんは、
昨日の稽古後、すぐ自宅のある
ローマに帰っていった。

(彼女は、今後和良久が広がることに
協力をしたいと言っていた)

だから、完全に言葉は通じない状態となった。

こちらへ来る前に買った翻訳機を頼るしかない。
またフラビオさんは少々の英語が出来るので、
多少はやりやすい。

車に荷物を積み込み、いよいよ皆の見送りを受け、
8時半ホテル前を出発。

私はフラビオさんの車に乗る。
後続車にはニコラがついてくる。

ニコラはここへ来た最初から、
今日の最後まで私のそばについてきた男だ。

今回の参加者の中で最も若い青年だ。
カンフーの指導員をしている。

最初に会ったとき、彼に私は言った。

「あなたは自分の本当の力を知らない。
もし真剣に求めたならば、あなたはもっと
ほとばしるようなエネルギーの存在に
感動を覚えるであろう」

そう言って「例えばそれはこのような力である」と、
彼の腕をつかんで「ウン」と水火を吹き込むと
彼の巨体がひっくり返った。

その経験があってから彼の私を見る眼が変わり、
「僕は和良久を深く学びたい」と言い出し、
私の側にいつも緊張して、気をつけの体勢で立っていた。

そんな律儀で純粋な男だった。

彼は空港まで私を見送るのだと言い、
今日も後を着いてくるのだった。

さて、ホテル前を砂煙を上げて出発。

車が見えなくなるまで手を振ってくれる。
皆また会いましょう。

ホテルを出た車は美しい山々の間を駆け抜ける。
ボローニャまで約二時間。

運転するフラビオさんと、
片言の言葉でよもやま話にふける。

片言の英語と、翻訳機を駆使して、
あ~だ、こ~だと分かったのか、分からないのか、
どっちなのか分からないが、
陽気で冗談好きな彼との話は退屈しない。

徐々に家が建物が立ち並び、高速道路があり、
大きな街が見え始めた。

もう少しでボローニャ空港だ。
10時半到着。

丁度フライトの2時間前だ。

ローカルな空港にしては大きな空港で、中に入ると
みんなイタリア語なので、私はさっぱりお手上げ。

幸い彼らが最後まで面倒を見てくれるので大助かりだ。

さあ、ここからヨーロッパらしい経験をさせてくれる
事件の幕開けだ。

登場手続きを済ませるため並んでいると、
時間が迫っているにも関わらず、
なかなか受付が始まらない。

列に加わるのは私一人だけではなく、
フラビオさん一行も一緒にいてくれたのは
心強かった。

待っている間、ニコラは私の横で
私の荷物をしっかり押さえながら、
直立不動の状態でいる。
まるで海兵隊のような男だ。

最後の最後まで師弟の礼を尽くす彼の姿に、
思わず自分が持って帰ろうとして、

自分の肩に下げていた木剱袋に入れた私の木剱を
「ニコラ、私と思ってこれを使え」
と彼に袋ごと差し出してしまった。

突然のプレゼントに、
彼は非常に驚いて体をこわばらせた。

「これは私が最も気に入っていた剱だ。粗末にするなよ」

と笑って言うと、大きな巨体を小さくし、
ただひたすら頭をぺこぺこ下げていた。

すでにフラビオさん、アルドさん、
そしてアッテリアさんには
日本から持参した木剱をそれぞれ渡していた。

彼らは、ここできっと和良久の礎になると思った。

和良久を伝えるよい先生になってほしいという
願いを込めて剱を渡した。

私の剱を託すことで、私と彼ら、
日本とヨーロッパとの絆が生まれそうな気がした。

それにしても、いつまでたっても
搭乗手続きが始まらない。

しびれを切らしたフラビオさんは
係りの女性に問い合わせた。

すると「飛行機が遅れているのだ」と
悪びれもせず言う。

日本なら「大変申し訳ございません・・・」と、
本当に申し訳なさそうに言うのだが、
こちらは本当に愛想がない。

フラビオさんらも「あっ、そう・・・」と、
いつものことだという感じで驚きもしない。

時間を見ると、どうも、
この調子だとアムステルダムでの
乗り継ぎが間に合わないと思うのだが・・・。

それをフラビオさんに言うと、
早速彼はまた係りの女性に聞いてくれた。

すぐ「心配ない、大丈夫」と
あっけらかんとして返事する。

まあ、そうだろう大丈夫だろうと思い、
気にも止めなかった。
まさか常識からして
置いてけぼりなんてことはしないだろうから。

やがて、ようやく手続きが始まり
「先生、やっとです」とフラビオさんが、
ほっとしたような顔で言う。
荷物も預けられた。

フラビオ「先生、食事でも・・・」

前田「いや、そうしたいが時間があまりないのでよそう。
ここでお別れだ。ありがとう。本当にありがとう」

ここの習慣にならって皆と抱擁し、
私はゲートに向かった。
身体検査も通過し、いよいよ一人になった。

まったく言葉が分からない世界に入った。
日本語はもちろん、英語も聞かれない空間だ。

まず、出発ゲートを確認しておこうと思い、
テレビに眼をやった。

テレビには、常に変動する
出発時間や出発ゲートを映している。

「え~~と、アムステルダム行きは・・・と。
あった、あった、えっ?出発ゲートが変わってる。
良かった確かめておいて。

また、しばらく見ていると
「えっ?出発時間が一時間どころやないぞ。
もっと遅れているってか?」

私の乗る飛行機は本来11時半の予定だが。
その時間はとうに過ぎている。

お腹がすいたな・・・と思い、
カウンターバーに行った。
コーヒーとパンを注文。その場で食べる。
それにしてもご飯食べたい。

ここの人たち、よく毎日パンを食べてられるな、
と感心する。

いつ来るか分からないので、
ゲートから離れる訳にはいかない。

ようやくゲート前にバスが来た。
バスに乗って飛行機へ移動。

定刻を1時間半ほど遅れてボローニャを出発。
上空から見えるイタリアの地にさようならを言い、
物思いにふけっていると、うとうととしてきた。

気がつくと機内サービスで
サンドイッチが運ばれてきた。

またパン。

早くお茶漬け食べたいな・・・
日本への思いを強くする。