特定非営利活動法人 武道和良久

特定非営利活動法人 武道和良久

誌上講座

誌上講座642「イタリア出向記(7)」

約2時間後、アムステルダム、
シーポール空港に到着。

迎えていたバスに乗ってみると、
何やら訳の分からないところに降ろされた。

「ええ・・・?ここはどこだろう?」

出口なのか入り口なのか?

分からないので、通りかかった
空港の職員らしき人に聞いて
ゲートのある区域を教えてもらう。

日本行きの飛行機は、時間的に間に合わない。
しかし、この時間の遅れは航空会社の責任なので、
常識的に乗り継ぎで搭乗する人を
待っているだろうと判断。

しかし、急いでいかないと待たせてもいけないと思い、
チケットに指定されているゲート番号を目指して、
広い空港内を駆け足で急いだ。

とにかく広い、まずパスポートを見せ、入国検査。
不親切に掲げられているゲート番号を見つけつつ
走る走る。

途中、空港内のテレビ掲示板に表示される
出発飛行機の時刻とゲートを確認をしつつ、
先を急ぐ。

ようやく、指定のゲートに着くと、
その機はここではない、別のゲートだと言い、
言われたゲートに向けてまたダッシュをする。

息を切らせ、汗が額から滴り落ちつつ、
そのゲートに着くとそこには誰もいない。

隣のゲートの受付に行って聞くと
「もう出た」とあっさりと言う。

「出た・・・?」

あっけにとられていると、
明日同じ便があるから、それに乗れば良いと言い、
私の航空券を別の様式のものと変えた。

「明日までここで待てというのか」と聞くと、
「このホテルに泊まって」と言い、
何やらクーポン券のようなものと種類を差し出し、
ホテルの場所と、そのほか何やらベラベラと
早口でしゃべりはじめる。

言うことが三分の一しか理解できない。

私は外国人だということが分かっているのに、
なんでゆっくり説明できないのかと思う。

「とにかく今日はもうだめなので、ホテルに泊まって、
また同じ時間にここへ来い」と言うことは分かった。

「じゃっ・・・」と受付を離れ、人が行き交う空港内の
イスにひとまず腰を掛けた。

こうなったら仕方ない。

なにかここへ留まる理由があるのだろうとあきらめた。

帰国した日から次の予定が入っている。

とにかく、帰国後の予定が変更になるので、
携帯電話で日本へ電話し、
ほうぼうへスケジュールの変更とお詫びをしてまわった。

さて、ホテルに行くか・・・と腰をあげる。
しかし、この広い空港、どこが出口なのか分からない。

人に聞きながら、外を目指す。
「違う、あっちだ」「違う、こっちだ」と
まるでビーンボールのようにうろうろし、
ようやく出口の受付に辿り着く。

その受付で、ホテルの事情を説明すると、
初めて「それはお気の毒でした」と言う表情と言葉をくれ、
バスの停留場の行き方を説明しつつ、
小さなバッグを私に手渡してくれた。

何が入っているのか見ると、下着類や洗面具のセットであった。

「気をつけて」と見送られ、
「あんな人もいるんだな」と少し明るい気分になりつつ、
外に出てバスストップに立った。

しばらく待つとホテル専用のバスが迎えに来た。

もう悲観な感じはなく、何か観光客気分である。
15分ほど走るとホテルに着いた。

郊外に佇むわりと綺麗なホテルである。

ホテルに入って、これから何をどうすればいいのか
分からないが、片言でも事情を説明すれば
きっと分かってもらえると思った。

多分、KLMオランダ航空の責任として
宿泊させてもらえるのだろうと思っていた。

ホテルのチェックインカウンターで、空港でもらった書類と
クーポン券を見せたら、また、なんやらかんやら言うので、
「わたしゃあなたの言うことがわからんの・・・」と居直った。

すると、すこし丁寧にゆっくり話しかけた。
でも、いうことの半分もわからん。

部屋のキーと明日の空港行きのバスの時刻表をもらい、
そして、夕食はこれからあそこのレストランでとってくれ、
朝食もそこでどうぞ・・・と言うことは分かった。

ここまで書いて思う。

だらだらと書いているなと自分でも思う。
もっと話を飛ばして
先に進めと人も思われるだろうと。

また、人に言われる。
回顧録にしても、随分昔のことを覚えていますね、と。

私は記憶力の良いほうではない。
これは妻や子供たちが証明する。

しかし、こうして文にして、文体が長くなり、
だらだらしても、
一つ一つ手繰って行けば不思議なものだが
昔がつながっていくのだ。

それに、私はほかのことはともかく、
武道のことについては敏感である。
このことだけに命をかけて生きてきたのだから。

命をかけたことは、命が覚えるものだ。

話を戻す。

同じ頃、チェックインカウンターで、
他の宿泊客と流暢に英語を話している方がいた。

日本人らしいので、何気なく声をかけた。

「日本の方ですか?」

「そうですが・・・」と返事された。

すぐ、その方も順番が回ってきて受付に行かれたので、
その時は話が出来なかった。

私はとりあえず指定された部屋に行って見た。
広いホテルで結構歩かねばならない。

部屋に着くと結構良い部屋ではないか。
早速、部屋の中の各戸を開けて口と手をすすぎ、
姿勢を正して、礼拝を行った。

ホテルへ入ると礼拝。
これはいつもの私の習慣である。

縁があって、この場所に来て、
今日の出来事があり、この部屋に泊まる。

すべては神様のはかりごとを私は知っている。
そのはかりごとに不満はない。
感謝のみある。

礼拝が終わり、手荷物の中のものを全部引き出し、
整理する。

大きな荷物はすでに日本に向けて帰っていてるのだろう。

着替えは空港でいただいた。
洗面具もある。まあ、これだけあったらOKだ。

家族にも一日遅れると電話した。
普段から旅の多い私のことなので
「へえ~そうなん・・・」と言う感じで特に驚かない。
妻も子供も私に似てノーテンキなのだ。

空港でもらった書類やクーポン券の詳細や、
明日のフライトの確認をしようと、机にそれらを広げた。

しかし英語ばかりでさっぱりかなわん。
翻訳機の登場だ。

難しい単語を調べつつ、書いてある意味を解する。
ほほーなるほど、あの受付の人は空港で
そんなこと言ってたのかいな、と思った。

このホテルの食事も無料だそうだ。

じゃ、お腹もすいてきたので、
お言葉に甘えてレストランに行くことに。

大きいレストランには
古い風格のあるインテリアが施され、
テーブルにはローソクが灯されてある。

適当に座るとウェイターがやってきて注文を聞く。
私はもらったクーポン券を差し出したら、
分かりましたと笑顔で言った。

そして「何かお飲み物は?」聞くのでビールを注文。

静かな曲が流れ中世の雰囲気漂う中で
ぼお~~っと外を眺めていると「さっきはどうも」と
チェックインカウンターで会った日本人の男性が
話しかけてきた。

「同席してよろしいですか?」

前田「もちろんです。丁度話し相手が欲しいと思って
いたんです。日本語が懐かしいです」

名刺を交換し、互いの自己紹介を行った。

この男性、名は吉田健一さん。
文部省の仕事でヨーロッパにおられる。
仕事は生物学の研究で、京都大学の教授。
神戸大学でも教鞭をとっておられる。

道理で私と違って英語がぺらぺらのはず。

吉田さん、ウェイターを呼び注文をする様も慣れて、
その屈託のない会話に長いヨーロッパ生活を
彷彿とさせるものを感じる。

私のことを聞かれたので話しだすと驚かれる。

吉田「へえ~、そんな高名な武道の先生とは知らずに
失礼しました。出会えて幸せです」

前田「なんの、私こそ吉田さんがそんな
国のお仕事をされておられる偉い人とは知らず・・・」

と言うところで、飲み物も来たので乾杯。

食事もなかなか豪華である。

吉田「そうですか・・・それは大変でしたね。
ここじゃ時々あるんです。そんなこと。

前田先生は初めて来られていきなりでしたから
びっくりしたでしょう」

前田「ええ、噂には聞いてましたが。
良い勉強させてもらいました。

でも、こうしてよいホテルに泊めていただき、
美味しい食事に美味しいビール、それに何より、
こうして吉田さんと出会えたご縁をいただけたことは
幸運でした。

ちょっと休んでいきなさい・・・
と言う神様のご褒美かなと思ってます」

その後も楽しい会話に時間を忘れる。

吉田「場所を変えて、向こうのバーに行きましょう。
世界の美味しいビールが揃ってますよ」

そのバーも素晴らしいアンティックが揃ってあり
よい雰囲気である。

どこやらのビールですと吉田さんは
カウンターから持ってきた。

吉田さんも京都の出身であり、
亀岡のこともよく知っておられ、話が早い。

こんな広いヨーロッパで、こうして同じ郷土の方と
出会え、こうして日本語で語り会える喜びと
ご縁に改めて神様に感謝した。

明日の朝、早朝の便でフランクフルトに行かれると言う。

私より早い便だが、明日また会いましょう
ということで別れた。

部屋に帰り、夕拝。

「神様、今日は色んなことがありました。
いつも、いつも助けてくださって心から感謝いたします」

あくる朝、レストランへ行くと、
もう身支度を済ませた吉田さんが食事をされていた。

私も同席をした。

私は今日帰国するが、吉田さんはまだしばらく
異国に滞在する。

前田「気をつけて旅を続けて下さい。また京都で会いましょう」

吉田「また連絡をします。楽しかったです」

外にバスが来た模様で吉田さんは重いバッグを引きずって
玄関を出ていった。

私も、部屋へ帰り、身支度を済ませ、空港へ向かった。

フライトは午後からであるが、大事をとって早めに出た。

空港についてとりあえずKLMオランダ航空を探す。
聞いて訪ねて行ったら受付に誰も居ない。

昨日受け取ったこのチケット、
一体どういったチケットなのか意味が分からない。

随分、人に聞いたりして右往左往したが、
わけが分からないので、自分で判断することにした。

これが一番確かだと思う。
まず、近くのイスに座り、
眼を閉じて神様にお祈りすることにした。

あわてても仕方ない。今日は時間が有る。

雑踏の中ではあるが、心を鎮め、姿勢を正し呼吸を整える。
数秒経つと、静寂の中に入る。

そして心の中で祝詞奏上。
神の名を呼び、頼む。

しばし黙考していると、なぜここに引き止められたのか
の意味が分かった。

『そうか、それならしかたがないな』と私は答えた。

そして、またしばらく心の中で会話を交わした。

心が納得し、疑念の影が消えた。
心を引き戻し、神に感謝した。

眼を開け早速、自分の思うように行動した。

すると昨日や、さっきの右往左往が嘘のように、
行くべき場所が分かり、行ったら極めてスムーズに進め、
あっという間にKLMオランダ航空の管轄で、
私の帰国便が発つゲートに行けた。

後は時間待ちだ。

ちょっと早かったが遅いよりはいいだろう。
少々の時間の延滞があり、2時間ほど待ったが、
無事搭乗出来た。

ようやく機上の人になれ、約12時間の座りっぱなしの
時となりエコノミー症候群との楽しい戦いが始まった。

機内には日本人観光客も多く、
ほとんど団体客の方々である。

あちこちで日本語が飛び交い、
気分的にはもう帰国したような気持ちであった。

7月21日(土)朝9時半。
機は関西国際空港に到着。

ボローニャで別れ別れになった荷物とも
無事再会を果たし、到着ゲートを出ると、
なんと沢山の稽古人さんたちのお迎えが・・・。

神様と皆のお陰で元気に帰れたことを
改めて黙然し、みんなと握手を交わした。

さあ、これからである。
和良久が世界に本領を発揮するのは。

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私が17歳の頃に出会った聖書の言葉は
いまになっても色あせることなく
私に生きる力を与えてくれます。

その聖書の言葉は、言霊と変化して、
仏教、そして日本の教え「神道」の世界にいざない、
私に懇切丁寧に段階を踏んで
今に向けて教え導いてくれました。

国により宗教の違いはありますが、
貫かれる真理は、申し合わせたように同じなのです。

『国々に 御名を変えさせたまいつつ
救いのためにくだりますきみ』

という出口王仁三郎聖師のお歌があります。

同じ神が、人類救済をなさむと、国により親しみをもって
名を変えて姿を現し、迷える人々を教え導いているのだと
言うことです。

私は思います。

宗教は幼子のための「学び」であり、
やがて人は甘いも辛いも知った上で、
それを超えてより深い信仰の世界に入ります。

人の成長ための踏み台だと思います。

宗教をされてる方は多いが、
信仰をされてる方は少ないのではないでしょうか。

偉そうですが、自分を含めて何かそう思えてなりません。

宗教は顕斎(形)であり、信仰は幽斎(心)です。

もちろん人として形から学ぶのは当然です。

しかし、最後まで自己の宗教そのものに
異常に固着していては
とうてい国境を越えるなど夢のまた夢ではないかと
思えてなりません。

だからと言って、宗教は特にもっていないが、神は信じる、
と言うのも何か腰の据わらない腑抜けのようです。

自分の信じる伝統ある素晴らしい宗教の教えから学びつつ、
より深い信仰の世界に没入すべきだと思うのです。

まず時間をかけて型をしっかり学ぶこと、そして後、
その意味を心に確かにしみこませることです。
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テロが増えてるから、撃滅させる。

病気になったから、手術をする。

ゴミが落ちてるから拾う。

・・・こういった、何か起きたから対応すると言う
対処療法は、確かに必要なことだとは思います。

落ちているゴミを拾うことは大切な社会奉仕です。

しかし、これから私たち人類が
やっていかなくてはならないのは、
ゴミを拾う人を必要としない世界をつくることであり、
それには、ゴミを落とさない人を育てることに
あるのではないかと思います。

ゴミを落とさない人を増やす・・・

これを拡大して言えば、病気にならない人を増やすこと、
テロを起こさない平和な心の持ち主を増やすことだ、
と言うことです。

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以下、聖書より (解釈・前田)

『私は信じます。
生ける者の地で私は主の恵みを見ることを』

(私が死んでからではなく、私が生きて命有るうちに、
神は私が抱いた夢を実現させてくださることを
私は信じています。

神は信じたことを実現させてくださる存在です)

『私があなたを立てたのはこのことのためである。
すなわちあなたによって私の力を現し、
また私の名が全世界に広められるためである』

(神である私はあなたに言う。
私はあなたの願いにより、私はあなたの中に入り、
わたしの力をあなたに与えた。

このように、私があなたに私のもつ無限の力を与えたのは、
このことのためなのだ。

私とあなたは一心同体となった。

そして行われるあなたの自己を犠牲にした公共的、
献身的な活躍は、すなわち私の力を世にしろ示すこと
になるのである。

すべての者たちは、あなたの活動によって、
あなたを通して神である私の姿を見ることになる。

あなたの活動は、すなわち神と言う名の私を
広く世界に広げることになるのだ)

『彼は衰えず、落胆せずついに道を地に確立する。
海沿いの国々はその教えを待ち望む』

(夢を携えし者、人に希望と栄光をもたらせる者、
彼は神である私を心から信じたがゆえ、
私は彼に力を与えた。

彼は私と共にある。

私の持つ無限の力を与えたがゆえに、
彼は倒れることなく雄雄しく前に進むことが出来る。

彼は何があっても決して疲れない、衰えない、
落胆することなどない。

常に喜びに満ちて、必ず私の計画を遂行し、
私の力を世にしろ示す。

世界中の国の心ある人々は、私が使わした彼の教えを
指折り数えて待ち続けている)