特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座643「八力の応用稽古」

八力の型は実に応用範囲が広い。

腰を練る、水火を練る、体のゆがみを矯正する、
筋肉を鍛える、正しく剱を使えるようになれる・・・

・・・と言う風に、様々の稽古に応用が利く
まことに便利な型である。

それほど八力は体勢、力、呼吸、思考が
まったく理に適った自然なものであり、
何にでも通用する力をもっているという
証拠でもあろう。

また、ご承知のように八力は「アオウエイ」と言う、
言霊の父音の配列どおりに動きがまとめられており、
天地結水火の水火に符合している型だ。

そうして八力の型は、あくまでも丸く丸く
球体を形成する動きでまとめられている。

つまり、動きが360度に向け、前後、上下、左右に
バランスがとれているのである。

これは、とうてい人智をもって
工夫して生まれたものではなく、
太古からの伝えである「言霊学」から生まれた
天啓の武道であることは疑いの無いものと言える。

これが正しいと言う、なによりの証拠に、
型の動きのすべて、呼吸のすべてが実地の武道の技として、
既成の武道を越える驚くべき力を発揮するということだ。

誰と相対しても攻防の技として「使える」と言うことが、
何よりその確かさを証明していると言える。

普通、こういった宗教色の強い類のものは、
おまじない的なものとして、有り難がられるだけの、
いわば精神主義だけの口先だけのものが多い。

しかし、和良久は人間対人間の間で行われるであろう、
攻防の技としても実際に役立つものとなっているのだ。

単に「気の力」と言って誤魔化し、
うやむやにするのではなく、
このようにはっきりとした動きとして表現が出来、
世の中に通用する技を有するのは、
まさに和良久は類(たぐい)稀なる奇跡の武道と言ってよい。

以上を証明する一つの稽古法を紹介する。

これはあまり通常の稽古では行わないが、
私が以前にやってきた稽古の一つである。
参考までに。

ただし、これは八力を理解し、
腰がきちんと動く人が行うと稽古になるが、
未熟な者どうしで行うと、
まったく意味が無いものとなるので注意。

まず、お互い相対して正座する。

次に相手の両手首をとって、
まったく八力の型通りに動かしてみる。

これは傍から見ると、まるで手をとって
揺さぶっているようにしか見えないが、
やってみるとなかなか難しい。

この方法、相手がいることなので、
一人でやるようにいつもの調子で手を返しつつ、
腕を大きく振って動くことは出来ない。

小さく小さく、腰が入ってるかどうか
確認しながらの稽古なので
初心者の方には少し難しい稽古である。

相手の腰の状態を見ながら、
いまの揺さぶりは腰が入ったか、どうかを
見ながら技をかけていくのだ。

外からは見えない腰のメカニズムを、
相手の手首を掴んでコントロールしていく作業だ。

少し稽古を積むと分かるが、つかんだ両手を通して
自分と相手との腰をつながるのが理解できる。

腰が入ると、相手は螺旋に乗って面白いように揺さぶられる。
その螺旋に勢いをつけて、掴んでいる手を剱のように
水火を放つと投げ技となって相手は容易に転ぶ。

人の体は、水火巻く螺旋の集合体である。
それは宇宙の設計図でもある。

宇宙のリズムをもってすれば
人はそのリズムに乗って動くものである。

これは本能である。

双方の腰がつながると同時にぐっと入り、
動きに重量感が出てくる。こうなればしめたものだ。

これを稽古することによって、互いの体をゆるめ、
ほぐし、相手に対し、他力的に腰を入れるということを
学ばせることが出来る。

先に言ったように、この稽古は、
実際に相手をコロコロと転がせるだけの力を発揮し、
その実用度の高さを証明する力をつけるものとなる。

螺旋の力による遠心力、求心力が体内で行き交いし、
水の流れが重心を動かし、
まるで相手が波に呑まれるようにして転げていく。

これは柔術などで行う関節技などではなく、
純粋な水火の技であるので、
これこそ本当の合水火(アイキ~合気)と言える。

しかし、これは私としては一般の稽古法としては
まったくふさわしくないものと思っている。

投げる・・・その行為そのものにとらわれ、
投げる、倒す、と言うことを目的となってしまい、
当初の目的が消えてしまう。

そうなれば、既成の武道並みのレベルになってしまい、
私と四代様との約束が果たせなくなる。

私たちは和合を目指すものである。
それは結びの技である。

倒す、痛めるなどは破壊の技であり、魔神の技術である。
私たちは、それを決して行わない。

私たちは掴む、捻る、押さえる、投げるなどの
破壊的行為を行うことなく、
ひたすら水火の技を追求する道を選択しているゆえ、
木剱という他力をもって自力を鍛えることを旨とする。

私たちの真の目的は、
この地上に無窮の天国を打ち立てる
神様の大神業に奉仕すべき人材の育成にあり、
神様に使っていただける心と体を鍛えることにある。

そのため、ひたすら言霊の助け借りて鎮魂を行い、
八力の運行をもって帰神をなすべくの
法(和良久)をもってわれらの鍛錬としているのである。

私は、この稽古法をする方ばかりで、されたことはないが、
される側にとっては中々体がほぐれてよい(ようだ)。
ゆらゆらとして、さぞ気持ちがよかろうと思う。

この稽古は、先に話した
「言うだけ」の物ではないことを証明する。

言ったことが出来る、出来たことは説明できる・・・
このように、和良久は、理念と実践が同時に存在する
世界唯一の武道であることは知っていてほしい。