特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座662「黙して座す」

私たち武道を志し、武の道を歩むものは、
大いに体を動かし、また大いに頭脳を働かせます。

それは、より完璧な技を使いこなすために他なりません。

神から与えられた、
より完全な精神と肉体を作りあげるために、
日々私たちは鍛錬を惜しみません。

鍛錬を通して、神を讃美し、
神の手足として活動出来るようになり、
そして国を守り、弱者を擁護することこそ、
私たちの望みです。

技の完全性は、すなわち精神と肉体の融合を表します。

これは、霊体一致という言葉で表現されています。

いま、世の大半の人々が体と心とがズレを生じ、
心身に非常なストレスを感じ、それに耐え切れず、
自分や、人を傷つける行為に走っています。

引きこもりの多い者、夜の闇に紛れて活動する者、
それら皆すべて地獄に住する者の行いです。

これら、心を閉ざされた者たちに光を照射し、
日のあたるところに引きずり出す手力男の
神の技の行使こそ、武の道にある者の役目のひとつです。

光を投げかける時、あるいは倒れ、
あるいは戸惑い、あるいは気づく者など、
様々な様相を呈する者多数でしょうが、
これも止むを得ないことです。

ただ、私たちはベストを尽くすのみです。

人々に光を投げかけるとて、
何も無謀なる手を下すのではありません。

剱の技を知っているからとて、
決して、その技を行使するのではありません。

私たちは、決して叫ぶことなく、
騒ぐことなく、淡々として静かに座していることが
技であることを知るでしょう。

黙して座り、大いに物申すと言う心境です。

技の習得、つまり、究極の精神と肉体を
創りあげる目的は、何も手出しをせず、
瞬時に周囲を降伏(ごうぶく)させることに
他なりません。

何もしない・・・これには
本当に圧倒的パワーが必要です。
そのパワーを培うのが日々の稽古です。

稽古を行うたびごとに、
そのエネルギーは増幅されます。
まるで、いつ噴火しても
おかしくないような状態である
「ウ」をつくり出します。

私たちは、もちろん平和主義者です。
しかし、平和運動と言って、
プラカードをかざして街頭を練り歩き、
拳を固めて周囲に罵詈雑言を
飛ばすようなことはしません。

人に対し、批判、非難はしません。

物を壊し、燃やして威嚇などしません。

と言って、無抵抗主義でもありません。

何があっても、手を出さず、反撃せず・・・
ではなく、私たちは周りに手を出させない
圧倒的なパワーと威厳をもって
「ここに存在する者たち」なのです。

心ねじけた者には、
触れれば吹っ飛ぶような内在的パワーを
感じさせる存在です。

しかし、心優しき者たちにとっては、
どこか懐かしく、温かく、
いつまでも傍に居たいような感情を抱かせる存在です。

何もしないが、大いに何もかもしているのです。
何も知らないようで、実は何でも知っているのです。

それは、影で一命を投げて、
一心に技を練っているからこそもてる自信と、
それによって培った威厳に他なりません。

その自信や威厳は、
稽古鍛錬なしにには到達出来ない心境です。

いざとなった時にこそ(神のご命令の発令あった時)、
初めて静かに立ち上がり、
五体を投げ打ってただ淡々と技を遂行し、
完璧にこなして後、また元の座に黙って復するだけです。

神は、古(いにしえ)より、いざという時の為に、
常にこのような者たちを用意なさっています。

いざとなったら、身を呈して、
すーっと燃え上がる炎の中に入って行く者を
いつの時代にでも傍の御簾の内にはべらせ、
常に神の技を完全に遂行出来るように影で鍛錬させています。

ただ、現今、イザという様な事態にならぬよう、
神は全力をもって取り計らっておられることは
まことに有難いことだと思います。

来たるべき時が来ぬよう、
安々と良い世界が開けていくように、
私たち人類は努めねばなりません。

稽古と言うのは本当に大事である、
ということを了解いただけたら幸いです。

武道は、日本伝統芸能と言えば格好がいいのですが、
私には少し抵抗があります。

私たちは芸能人ではありません。

踊りを踊り、歌を歌って
拍手をもらうような分野ではありません。

日に当たれば武の道は失敗です。

月のように、夜に輝けば成功と思います。

月は、自ら光を放射するのでなく、
日の光を受けて反射させて、
この地球に恵みを与えてくださっています。

このように、自らは影に控えて、
月のごとく日の存在を立てる存在こそ武道であります。

美しさを追求するのでなく、強さを追求します。

しかし、その圧倒的な力を有した時の姿は、
何ものにも勝る美を表現します。

古来、あらゆる芸能が、この武の身のさばき、
心の持ちように憧れました。

それを舞によって、歌いによって、楽器によって、
武の調子、拍子、間を表現したのです。

武の道にある者は、密かに、
このことを誇りに思っていただいていいと思います。

武は、矛と言う宇宙創造時に用いられた神器を
手にすると言う意味です。

それを使いこなす姿こそ、
完全な宇宙を表現するのではないかと、
私には思われるのです。