特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座671「小木剱」

皆さんの手元に小さな木剱が、
そろそろ行き渡った頃でしょうか?

今回は、この小さな木剱についての
思い出話をさせていただきます。

それは、私がまだ奥山先生がお元気で、
剱についての理念を探求されておられる頃に遡ります。

また回顧録でも出てきますが、
当時、私は連日のように
先生がいらっしゃるお部屋に出入りしていました。

大本の建物の一角にあった先生のお部屋は細長くて狭い部屋でした。
でも、そこから見える天恩郷の景色は素晴らしいものでした。

先生は、椅子の背に深くもたれながら
「ここに居たら、どこも行く必要がないんですわ」と、
よくおっしゃっていました。

物事を調べるのに、いちいち出かけずとも、
ここに居れば歴代教主が残した
日本神道の精髄とも言うべき膨大な資料がある、
そこにすべての答えがある、
ゆえにどこにも行く必要がない・・・
また、必要な時に必要な人も集まる、
神様はこのようにすべてをご用意下さるのだ・・・
と言うことです。

部屋に入ると、机は武道のための資料が乱雑に山と重なり、
木剱を削った時に出るオガクズでちらかっていました。

それは事務室なのか、
作業室なのかわからない埃っぽい汚い部屋でした。

私が座ると先生は早速特製の紅茶を入れて下さいます。
その特製の紅茶をすすりながら、
先生の四方山のお話を聞くのが私の日課でした。

特製の紅茶には、クリープどっさり、砂糖たっぷり、
そしてウイスキーがなみなみと注がれたもので、
ウイスキーの中に紅茶を入れたと言った方が
いいいのかも知れない飲み物でした。

そんな特製の飲み物をいただきながらのことですので、
朝から先生も私もほろ酔い加減でした。
夢うつつの中で先生の若い日のことやら、
言霊のこと、弥勒の世のこと、
そして剱のことなどを話して下さいました。

この部屋で語られることや、書かれた資料の内容は、
世界の常識を覆すようなすごい内容ばかりでした。

私は、もしかしたら、ここから歴史が変わるのでは・・・
と思われたほどで、本当にワクワクしたものでした。

その時に、説明のため、
しきりに振っておられたのが小さな木剱でした。
  
いつも、いつでも先生の手からそれは離れず、
木剱を持って技の説明をなさって下さいました。

今で言う「手付け」です。
先生は、手付けを確かめておられました。

「吸う息が凝に入って右手右旋・・・
それで、ここで息が重なるんです。
吸う息に吐く息が重なって、
もう一丁、吐く息で打つんですわ」

剱を廻しながら、
八力の運用と呼吸のあり方を示してくださいました。

私は、その時何のことやら、
さっぱり理解できず、
ただ「はあ~・・・」と生返事で聞いていただけでした。

そうこうしていく内に、
先生は「これ、あんた使いなさい」と言って
ご自身所有の中から、それも一番私が欲しかった
ビワの木で出来た短い木剱をくださいました。

部屋で先生がいつも使っているものと同じ大きさでした。
先生も時々使っておられました。

私は嬉しくて、早速家のご神前にお供えし、
家での稽古に使わせていたくことにしました。

天井が低く、周りに物が置いてあって
振り回すには危ぶまれる狭い部屋の中で
その小さな木剱は稽古をするに
十分なパートナーとなってくれました。

私にとって鳳雛舘での稽古に加え、
家に帰っても木剱を握れる嬉しさは、
なんとも例えようのない喜びでした。

寝るときも、それを抱いて寝ました。
どこへ出かける時も持って出ました。

まるで自分の守り刀・・・ならず守り剱でした。

気の悪いところに行ったとき、
また自身に気の迷いなどが生じたとき、
この木剱はどれだけ力になってくれたことか知れません。

風をひいて寝込んだ時も、
夜金縛りに合いそうになった時も剱は一緒でした。
剱はいつも私を守ってくれました。

こんなことがありました。

ある旅先で、友人に車であちこちと案内されるうち、
山中でいつの間にか夜もふけてきました。

どうも道に迷ったようで、思うところへ行けません。
どうしようかと思いつつ、友人はさらに車を走らせます。

広いところへ出たのでひとまず一服しようと思い、
車の外へ出ました。
もうすっかり夜は更けて回りは真っ黒の闇です。

急に友人が妙な寒さを感じ「何かがいる」と、
怖がり出しました。

私は「ここはどこだ?」と思い、
近くにあった立て札を見ました。
車のライトで照らされる立て札には、
○○古戦場と書いてあるのが確認できました。

「侍が大勢いる・・・怖い、切られる」
と友人は震えています。

私は「これは大変」と察し、
やにわに車の中に置いてあった木剱をとり、
天剱に構えて天津祝詞を奏上しました。
確かに、物凄い多くの気配が私たちを取り巻いているのを感じます。

私は、木剱をもって殺気を感じるところを打ちました。
その気配は周囲から感じますので、
感じるところを打って打って打ちまくりました。

途中、横から足を払われ、私はひっくり返されました。
後で見ると手でつかまれたアザが残っているほどの強い力でした。

なかなか凄い勢いです。
さらに言霊を唱え、集中して打ち続けていると
やっとおさまってまいりました。

「大丈夫か?」と、友人を見ると
「もう大丈夫だ」と元気になっていました。

また、これも夜中の話ですが、
山中に行って稽古した際、
ある神社の手前の広場の森から幽霊が出ました。

連れの男は「ここで最近自殺があったんだ」と言います。
それだと思い、また木剱を取り出して
祝詞を上げ八剱を行いましたら、
すんなり消えて行きました

・・・木剱は、決して、
このようなことに用いるためにあるのではないのですが、
その後も種々の霊験あらたかなることに遭遇し、
剱のもつ威徳というものに私はあらためて驚いています。

さて、この小木剱。
皆さんも手に入れられておられる方も多いと存じますが、
神棚の奥に飾っておくことなく、
しっかりお使いいただきたいと念願いたします。

主に「手付け」の稽古を行っていただきます。

手付けという難しいことでなくても、
手に馴染ませるために、
間があれば手軽に手にとっていただきたいと思います。

きっと「75剱」上達には欠かせないものとなるでしょう。

もうひとつの使い方として、小木剱は軽いですから、
単純に上下に振るだけでも健康にすこぶる結構であります。

「天剱ー地剱」と勢いをつけて上下させます。

天剱は天井に当たらぬよう気をつけて、
地剱は机や食器や周りの置物に気をつけて振ってください。

慣れれば、短い剱ながらも
「ヒュン、ヒュン」と唸りを立てます。

この風を切る音を聞くだけでも、
不思議と心のもやもやが吹っ切れて、
かなり爽快な気持ちになります。よい鎮魂になります。

私は毎朝起きた時に
まず剱をとって100本降ります。

あがる時に「ヒュン」、
降りるときに「ヒュン」と言う音に気持ちが晴れ、
上がりつつ吸う息、降りるときに吐く息をするので、
正しい呼吸に調整されます。

何より、体が一気に目覚めるのありがたいことです。

寒い朝など、なかなか温まらない体も
3分ほどですぐポカポカと温まります。

このように、朝と言わず、
気がついたらそこに木剱があるというのは、
稽古馬鹿のわれわれにとって誠に嬉しいことです。

私はいつもヤマトタケルノミコトが、
最後に歌った歌を思い出します。

「おとめ(妻)の床の辺に置きし
わがツルギの太刀、その太刀はや」

ヤマトタケルは、
おのが命果てる時に思ったことが
唯一「剱」のことでした。

さすが剱の化身スサノオの系統です。