特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座678「徐々に現れる技の真相」

稽古が進むにつれ、少しずつその真相が明らかにされる。

その度に自分は甘かったと心から反省させられる。

自分が思うほどこの稽古は浅いものではなかった。

指導する吾、未熟ながらも稽古人とともに
75剱にとりかかってきて、
ひとつひとつの言霊の水火を、
水茎文字を頼りに探っていく作業が連日続く。

そして、その度に行き当たる課題の数々。

ああ煩わしい・・・と横着な心が叫ぶが、
かろうじて「夢」「志」という心が勝って、
その課題をまっこうから直視する。

そして、眼をそむけることなく、しかと受け止めてみると
「ええっ・・・??」と言う驚愕に変わり、
やがて稽古を通して「そういうことだったのか」と言う納得に変わる。

まったく偉いことに首を突っ込んでしまったものよと後悔しても始まらず、
与えられた技を忠実に再現していくことに専念する。

「となると、この誌上講座いつ終わるのか。
こうも次から次へと出てくるとは」と嬉しさ半分、気の重さ半分。

変人扱いされ、異端児と見る周りの冷ややかな視線を背に感じ、
思わず子が親に文句をたれるように
「これを世に出して本当に何かが変わるのか」
などと空に向って憎まれ口を叩いてしまう自分の浅薄さ。

言霊剱・・・とにかく、これは自分の予想を遥かに超えた代物だった。

いまさらながら、巻き添えにしたすべての稽古人の皆に謝辞を言いたい。
そして「もしこれからも続けるなら、あらためて覚悟せられよ」と言いたい。

もう一度あらためて、大神様に重圧と孤独に耐える力を与えたまえと詔り、
この稽古が神の御心に適うものであるよう祈る。

以下、平成19年6月15日 豊徳殿にて記す

わが和良久は、古来の神道に継承された霊学、言霊学の極みなる
次の四つの理念により成り立つものなり。

1、布斗麻邇御璽(フトマニノミタマ) フトマニ~太占(天津金木、天津菅曾)

2、水火の御伝(稲荷古伝)

3、真素美の鏡(ますみの火火水)

4、水茎文字(瑞組木文字)

綾部の神苑にかって(1919年)建立されたる言霊閣(黄金閣)には、
天津金木、天津菅曾が設置され、
正月になると出口聖師が世の吉凶を太占(うらえ)ておられた。

太占は、フトマニと言い、フトは公、マニは法式である。

フトマニとは公式に行う儀式である。

高天原の公式とは、
天沼矛と八尋殿(螺旋状に放射する絶対バランスの力)
が根本的姿であるので、それで推し進めれば何事も明瞭になる。

この言霊閣こそ「布斗麻邇御璽」を表す。

「水火の御伝」は、この布斗麻邇御璽より割き別れたるもの、
つまり布斗麻邇御璽を分解したパーツ~部品ということである。            

また、言霊閣の横に掘られた金竜海という池は、
宇宙森羅万象を表す言霊75声の音韻配列表「真素美の鏡」を表し、
言霊五大父音アオウエイを配する五大州を造り、
水面には水火の組み合わせである75声の「水茎文字」が浮かべられた。

そして、1960年、亀岡大本に巌流佐々木小次郎の木剱がやってきた。

4尺を越える長いもので、物打ち(刃)の部分六角形、
柄の部分円形と言う異型の常識を慨した直刀である。

この一本の神器の登場により、先の理念の秘密が一気に氷解した。

理念に沿って剱を扱えば、何とそこに現れたのは螺旋文様であった。

水茎文字は、瑞組木文字である。

瑞組木とは、奇瑞を示すために組まれる木、
つまり天津金木である。

霊学においても、水茎文字とは
天津金木によって生まれた文字であると解いている。

水茎文字に従って剱を用いて体を動かすことは
「天津金木を置きたらわす」と言うことである。

勝負を離れて、水火のはたらきを第一義とし、
あわてずあせらず、剱を正確に扱う稽古をすることで
天津金木の運用が五体をもってなされる。

水茎文字に従って剱を用いることは、
わが五体を布斗麻邇御璽に至らせることである。

すなわち人体こそ黄金閣なのであり、
言霊閣なのであることを知る。

そして『言霊の助けによりて大神の御心を覚り、
鎮魂帰神の神術によりて村肝の心を練り鍛えしめたまい』
の祝詞が成就する。

これは、まさにわれわれ日本民族が待ちに待った
待望の技ではないかと、われ密かに思う。
ああ幸せな奴よと笑止されたし。

大石凝真素澄美翁顕彰会 紹介文より

●布斗麻邇御璽(フトマニノミタマ)

布斗麻邇御璽、一名〈火凝靈(かごたま)〉とも言う。

太安万侶は『古事記』三巻を完成し、
時の御門・文武天皇に献上したのが
和銅五年正月二十八日であることが、
その序文によって知られる。

『古事記』は稗田阿礼への勅命によって成れるものであるが、
此の『古事記』完成に先立ち、
和銅四年二月、伏見稲荷御示現の際、
稗田阿礼によって此の御璽が同祀内に奉奠されたもので、
後年、同社務・親友卿の家傳として伝わって居たものが
荷田春満によって発見され、世に明らかにされたものである。

此の御璽は
「布斗麻邇御璽にト相(うら)へて天地人の初発(はじまり)を知る御傳」であり、
神我一体の行である天津微手振・天津息吹の根本原理、天津神籬の傳なのである。

これは即ち、拜神の根本行事であり、更に日本武道の真髄であり、
日本礼法の基礎ともなるものであって、
日本文化の核心をなすものと言っても決して過言ではない。

日本武道の兵家帳中の珍祕とされる『龍虎二巻』の寶典とともに口伝される
三才一貫の口伝・身伝たる一│十卍◯(いっこん・じゅう・まん・ゑん)の祕伝も、
この御璽の発露に他ならない。

そして、これが宇宙観・国体観・人生観、更に宗教的には汎神的一神観、
即ち全神観の根本をなすものなのである。

●天津金木(アマツカナギ)

大石凝翁の完成せられた『大日本言霊』は洵に古今独歩とも言ふべき感あり。

他の国学者の言霊学が總べて五十音を基礎として居るのに対し、
七十五声の配列を以てし、その神機の妙用には全く驚く可きものがある。

また『天津金木』は天造神算木(あまつかなき)とも言う。

天・地・火・水(あめ・つち・ひ・みづ)の四大を表象する
四分角二寸の金木(易の卦の如きもの)なるものを所謂、
翁の『極智の極算法』を以て千坐(ちくら)の置坐(おきくら)に
置き足らはして『古事記』を直読するものとされて居る。

しかし、惜しいかな、天津金木に対する学説は
翁の門人・水谷清氏がこれを承けて一時旺んに宣傳せられて居たが、
水谷氏の死去と共にこれを世に紹介する者なく、
今では只、讒にこれが運転の結果を記載せる翁自筆の図表が
水野満年先生の手許に傳へられて居るのみである。

●天津金木 ~出口聖師 霊界物語

則ち神算木(かなぎ)なり。
周易の算木に相当するものであるが、
より以上に神聖で正確である。

本来は長さ二尺の四寸角の檜材なのであるが、
運用の便宜上、長さ二寸の四分角に縮製さる。

その数三十二本を並べて、十六結を作製し、
その象を観て、天地の経綸、人道政事一切の
得失興廃等を察するのである。

それは宇内統治の主が大事に際して運用すべきもので、
普通人民がやたらに吉凶禍福などを
卜するに使用すべきものではない。

無意無心の器物を用いて神勅を受けるのであるから、
ややもすれば肉体心の加味し勝ちな普通の神懸りよりも、
一倍正確な事は言ふまでもない。

天津金木(ああまつかなぎ)運用すべき時は来ぬ
     天地(あめつち)の道曇りに曇りて

外になき是れの尊き神国を
     乱さんとするフリーメーソン

大虚空充実したる言霊の
     活動知らぬ明きめくら哉(かな)

地の上の凡ての乱れ尽く(ことごとく)
     言霊ならで治むべきやは

時すでに迫りたれども言霊の
     軍の将(きみ)のなき世慨てき(うたてき)

唐国(からくに)の醜(しこ)の嵐の強けれど
     立つ荒波を防ぐ言霊

言霊の幸はふ国と言ひ乍ら(ながら)
     生言霊(いくことたま)の働き知らぬ世

成り鳴りてなりも止まざる天地の
     生言霊(いくことたま)の声を聞かずや

天ヶ下(あめがした)広しと雖も言霊の
     大活用を知る人ぞなき

言辞学と言霊学とは天地(あめつち)の
     相違あるなり軽るくな思ひそ

天地(あめつち)に充み足らひたる大父音は
     神のみ国の珍の言霊

昭和青年昭和5年8月号