特定非営利活動法人 武道和良久

特定非営利活動法人 武道和良久

誌上講座

誌上講座684「脚下照顧」

先般のべましたように、
外国の思想や文化がいつの間にかこの国の隅々まで氾濫し、
人の行動や生活様式まですっかり外国のようになり、
また日常使う言葉までも
日本語と思えない言葉に変わってしまいました。

いまの日本人は日本に住んでいますが、
その心は日本にありません。

いえ、もしかしたら本当の日本と言う国を
知らないだけではないかと思います。

今の方の頭の中は外国の音楽と
外国の言葉と外国のファッションでいっぱいです。

私も若い頃は海外に憧れていました。
まだ見ぬ遠い国に思いを馳せて、
いつか海外へ見たいと夢見たものでした。

だからその気持ちは分かります。

しかし、その前にもっと母国を愛して欲しい、
誇りをもってほしいと思うのです。

自分が住む愛する母国のために
一艘他国との交流をなし仲良くしてほしいと願います。

そのためには、われわれ大人が精一杯この国のことを知って、
この国の物凄さ素晴らしさを
若い人たちにアピールすべきだと思います。

何度も言いますが、
決して外国のものが悪いと言っているのではありません。

私は決して右よりな国粋主義者でもありません。
外国嫌いでもありません。

他国の文化や風土に触れて感激したことたびたびです。
素晴らしい外国の友人もたくさんいます。

彼らはとても自分の国に誇りをもっています。

堂々と国旗を掲げ、国家を胸を張って国歌を斉唱しています。

私はその姿をとても微笑ましく、また逞しく思えるのです。

それに比べ日本はどうでしょう。
国旗を揚げる光景もほとんど見なくなりました。
学校でも君が代を歌うことも無くなってきました。

こんな国があるでしょうか。信じられません。

日本人であって、日本人で無い人が増えてきているのです。

私たちの世代、そして若者たちが、
自分の国に嫌気が差し、心が離れていく傾向にあるのが、
自分の国を大事に思う私にとってはことのほか悲しいのです。

軸があって周りがあります。

自分の住む国があって
それを取り巻く外国があるということ。

まず自分の国を知り、愛し、
それと同じように他国も愛することです。

自分を愛するように隣人を愛せよ、です。

自分の国を愛せない・・・
そのように思わせたのは他ならぬ私たち大人です。
これも私には情けなく思えてならないのです。

原水爆を二度も落とされると言う、
人類史上例を見ない苦境に立たされたにも関わらず、
驚異的な再生能力で、経済的な成長を遂げた奇跡の国日本ですが、
その復興の勢いはついに行き過ぎを生じ、
物への欲求は足ることを知らず、
とうとう心までも蝕んでしまう結果を生みました。

私たちの世代は、儲けるために卑怯なことと知りつつ手を出し、
心にも無いことを口走ってきました。

最初は心苦しさに夜も寝られなかったのに、
いつの間にか罪悪感さえ消えてしまったのです。

物をとるため心を捨てたのです。

「何をそんな奇麗事言ってるんだ。心で飯が食えるのか」

必ずこう反論します。

こういうのは若い方たちより、むしろ中高年の方に
こういう開き直った言い方をする人が多いのです。

大変な時代を生き抜いてきたのはいいのですが、
すっかり泥まみれになり、
卑怯なことも生きるためには必要悪なのだと逆切れする始末です。

戦後の占領政策も無くなり、
それも遠い昔のように思っているかもしれませんが、
何の何の、まだ占領は着々と進んでいます。

それは教育、文化、思想、ビジネスにまで根を深くし、
ほぼ呪縛完了がしかけていると言ってもいくらいまでです。

その占領にかかっている張本人は決して某国だけではなく、
それに便乗している悪神たちです。

かって神代の昔に侵略に失敗し、
また体制を巧妙に強力に立て直してやってきたのです。

しかし、私たちの潜在意識までは占領出来ません。

私たちの潜在意識の奥底に息づく「日本」は
逆にその鼓動をたくましくし始めました。

心あるものたちが「いまこそ日本を取り戻そう」と
静かに叫び、申し合わせもなく、時を同じくして立ち上がります。

そして、眼と眼を見合わせて「いよいよ言霊戦の開始だ」と
覚悟を決め、黙して手をつなぎあいます。

悪神のイキに毒された聖地日本を、
元の神代(火水与~かみよ=霊体組み合わすと言う意味)に戻すため
戦いを始めます。

本当の戦いは、肉弾戦ではなく言霊戦にかかっています。

それも音声ではなく、
根元の力である「イキ」を武器にした静寂の戦いです。
霊力の戦いと言えば分かりやすいでしょうか?

悪魔の秩序(前後上下左右を崩壊させる法則~つまり父音の無い世界)
を立てようとする邪神のイキと、
神の秩序を立てようとする正神の水火の壮絶なぶつかりです。
(それはもう始まっています)

悪魔の秩序は、鋭角波動です。

それに触れると、生物は破壊的な気持ちが起こります。

遠い昔より日本を捕るために計画を練ってきた○○は
とうとう仕上げにかかり出しました。

人の心を巧みにあやつり、「愛」と言う言葉をキーワードに
人の良心にうったえた策略は誠に緻密です。
天使のような心と容貌をもった悪魔です。

現に戦後の混乱期に生きた私たち物欲の激しい大人たち、
そしてその子供たちが今方々で悪魔教的とも思える事件を引き起こしています。

毎日毎日、報道番組を眼にするたびに
顔を背けたくなるような信じられない事件の連続です。

そして世界の国々では、
このまま終末へと進むのではないかと思えるような戦争が続いています。
今この瞬間も数え切れない命がつぶされているのです。

人が人の命を奪う、同族同士の命の取り合いという「共食い」は
獣の世界では当たり前ですが、人間界でそれが行われていると言うことは、
人も獣からまだ脱していないのかと、同じ人間として嫌悪感をおぼえます。

これはまだ序章です。
このままいけば奴らはさらに信じられないようなことを
やってのけます。

一見平和そうなこの日本も
人心の荒廃は戦争しているところと変わることなく、
むしろ姿を隠して見えないだけに
もっと醜い悪臭ただよう世界があるように思えます。

政界、ビジネス界、教育界・・・みんな自分の手前のみ考え、
嘘を隠すためまた嘘をつくと言う妖魅界のごとき様相を呈しています。

人が見ていなければ、法律に触れていなければ何をしてもよい、
と言う魑魅魍魎たちが五月蝿のごとく影で暗躍しています。

いま、人類は真剣に呼吸を整えて(ス)、
考え直す(ウ)時期にきていると思います。

ことに日本。

この日本に住む者の使命を日本人はもう一度考え直し、
そして世界の範となって立ち上がることが必要です。
これは早急にです。

「世界を救うことが出来るのは日本だけだ」

古来より世界の聖者、賢人たちが言い残しています。

近年、科学者アインシュタインも言いました。

それだけ期待されているのに、当の日本はどうでしょう?

私たちはどうでしょう?

いまのままで、その悲痛な叫びに答えられますか?

日本をもっと知りましょう。

日本には世界を救うノウハウと力が秘められています。

それを信じ、それを行うことです。

力とは?

力は言葉の中にあります。私たちが使っている言葉の中にです。

前にも書きましたように、
その国の文化、国風は、その国の言語から生まれています。

私たち日本で言えば日本語です。

日本語とは「言霊」のことです。

ゆえに言霊を知ることが日本そのものを知ることになります。
そして、それを知ったとき何かが動きます。

ちょっと外に向ける眼を内に向けてください。

耳を澄まして聞こえる声、音。

眼に映る風景。

そして香り。

どんな音が聞こえますか?

どんな風景が眼に入りますか?

どんな香りがしますか?

そしてそれに日本を感じますか?

・・・そこが大事なのです。

その感覚をもって外国と接して欲しいのです。

あなたは国際人である前に日本人なのです。

それを決して忘れてはなりません。

淡々とすることです。

叫ぶことなく慌てることなく、静かに落ち着いて。

何によらず媚びへつらうことなく見下すことなく。

そうすれば、あなたは衰えず落胆せずついに道を地に確立します。