特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座162


「一つはすべてのために、すべては一つのために」


わが国には、「一神即多神」「多神即一神」という思想がある。

また「万教同根」という考え方がある。

体一つをみてもそれは容易に察することが出来る。

人の体は多くのパーツで組み立てられ、構成されている。

まず、肉体と精神というものがある。

霊と体である。

胴体につながる頭と二本の手と、二本の足。

この五体にも様々なパーツがつなぎ合わさっている。

頭部には目、鼻、耳、口。

手や足には指。

また内部には臓器があり、骨が全体を支え、
血が全身に行き渡って、私たちはこの肉体を保持している。

このどれも欠くことの出来ないものであり、
一つはすべてのために、すべては一つのために
非常に精巧な働きをみせている。
これが無意識的秩序というものである。

しかし、ただ私たちは肉体だけでは活動出来ない。

ここに魂というものがなければならない。
「仏つくって魂入れず」では生きていることにはならない。

この五体という物体に入魂するお方が神様である。

神様の水火(いき)が人に入ってはじめて
「息る〜生きる」 ことを得るのである。

神様は全人類共通の統一的な意思である。

神様は、神様自らその尊い霊魂を私たち人に付与している。

ゆえに「人は神の子神の宮」という。

生きるとは「活きる」であり、「水火流」つまり息、
呼吸が流れることである。

息をして、活き活きと活躍することが「生きる」ことである。

人は神の手足として立ち働くために
この世に生を受けさせていただいた。

一つの大いなる意思のもとに、我々はあるときは神様の手となり、
またあるときは耳となり、また口となり、足となって立ち働かせて
いただくことが人としての喜びであり、務めである。

また「一神即多神」「多神即一神」ということは、
自分の体のことだけではなく、社会生活においても欠かせぬ思想である。

何億という数の人類、それぞれに思いをもち活動を
しているが元をたどれば同じ神様の分霊(わけみたま)である。

我々はその統一、また共通の意思を通して兄弟同胞である。

ですから、人はお互いの人権を尊重し、
「一人は皆のために、皆は一人のため」に感謝と喜びをもって
助け合って生きていかねばならない。

・・・こういったことを頭で学ぶのではなく、
身体の操作法を用いて実際に体感していく。

和良久はそのために神様から頂戴したものである。


続く・・・