特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座340


審神(さにわ)〜正邪の見分け (3)


妖術使い・・・彼らの共通点はこうである。

まず自分を深く信じる。
根拠のない自信である。

自信がなくては、人にものは言えない。
自信のある言葉は聴く人を魅了する。

自分には特殊な神(またはエネルギー)がかかっている・・・。

そして、その神はこの宇宙を救う唯一の神であり、
自分はその選ばれた人間であり、
よって自分の言うことは神の言うことである。

・・・このように、自分に自己暗示をかけることによって、
まず自分自身をその気にさせる。

人を誑かすには、自分を誑かせなければ
人を誑かせることなんて出来ない・・・と言うことを
彼ら(悪神、低級霊)は心得ている。

もちろん、霊自身は、これぽっちも誑かすなんて
思っていないのである。本気である。
本気であるから、よけいたちが悪い。

妖術を使う者らは、その肉体をこういった
たちの悪い悪神に支配されている。

肉体と表面の意識(顕在意識)だけならまだしも、
その潜在意識層までも支配されている。

これは、もはや救いようがなく、生きながらに
その籍を地獄においている。哀れなものである。

肉体を提供することによって、その代償に
不思議を見せる力を与えてくる
(マジックじみた程度の幼稚なものであるが)。

俗に「悪魔に魂を売る」と言うが、
自分の魂を売って悪魔の糧となし、
肉体という衣服も悪魔の衣服となる。

これを繰り返すことにより、悪魔はますます力を得る。

懸かられた人は、虚偽と捏造の心に支配され、
中身の無い虚飾の世界にさまよう。

さて、国により異なるが、昔から妖術使いには、
共通した点がある。

現代はイザ知らず、古来の妖術使いらは以下のように、
まったくその生活ぶりは獣に等しい。

近親相姦をし、人肉を食らい、ほとんど肌は露出させて生活し、
歩行は逆立ちして歩いたり、
または異様なリズムを刻みながら奇声を発して歩く。

そして顔面は引きつり、顔に体に刺青をし、色を塗り、
眼は落ち着きなくキョロキョロしているか、
逆に眼が据わっているかである。

その場合、腐った魚のような澱んだ眼をしている。
注意力散漫で、理由もなく常に何かにおびえる仕草。

大祓祝詞(神言)と言われる神道の祝詞(のりと)にある、
天津罪、国津罪を犯して、
悪魔と結託し契約を交わして「力」を得るのである。

つまり、正神の規律に背く行為をなして
悪魔に取り入るのである。

現代は、そういった、一見しておかしな人種もいなくなった。
それだけによけいに、たちの悪い者が出てきている。

動物臭い匂いがする。また、火やタバコを嫌ったり、
高貴な神様の名を言うと顔色を変えたりするなど
少し所作をみると異常が発見できるが、
やはり力のある悪神になると分かりにくい。

悪魔は「俺は悪魔だ」と言って現れない。
悪魔は人の心にとりいるため、善の仮面を被って登場する。

人のもつ善意につけこんで、少しの隙をも見逃さず
風のように速やかに入り込んでくる。

神々しい神様のような容貌で、優しい笑みを浮かべて現れる。
正邪の判断がまことに困難である。
 
知識や容貌だけでの判断はつきかねる。

神と悪魔は、ほぼ同じ力を有する。
しかし、絶対に神には勝てない。

神には一厘の仕組がある。
一厘の力とは?

仕掛けさせて勝つ・・・言霊の鏡の力である反射力である。
これが悪魔にない力であり、悪魔が恐れる力である。


続く・・・