特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座342


審神(さにわ)〜正邪の見分け (5)


弛まなく自己を追求して、
真っ直ぐに突き進むと必ず神に出会う。

しかし、自己を見失うと悪魔に出会う。

修養時代は、たとえ苦しくとも、楽しさを選ばず
正しきが上にも正しきを選んで歩むことだ。

そして、この峠を越えたならば、
次には楽しさを選んで歩く段階に入る。


タテがあってのヨコである。
厳しさが極まれば、その先には優しさがある。

タオに言う。
『陽が極まれば陰にその場を譲り、
陰が極まれば陽にその場を譲る』

極めるとは、すなわち凝縮である。
極点である。言霊で言う「ウ」である。

陽は火であり、陰は水である。

火は水を、水は火を動かす。
両極相まって「火水」すなわ霊となり、
「水火」すなわち力となる。


妖魔は、必ず「正義」「愛」などの
言葉を標榜して登場する。

人は、この言葉に弱い。
この言葉を用いる者に悪人はいないと信じている。

悪魔にも愛はある。正義はある。
但し、彼らの愛は自己愛であり、
彼らの正義の表現は戦いなのである。
まさに、某大国の如しである。


努力もしないで安易に願いが叶うということを
待つ人々に妖魔は妖魔なりの愛の手を差し伸べる。

彼らに悪意はないのだ。
闇・・・そこが彼らのパラダイスなのだ。


人を介して、先に言ったような幼稚な妖術を使い
光へと・・・ではなく闇へと誘う。

そう「あなたを光の世界へ・・・」この言葉も
罠としてよく使われる。

彼らの言う「光」とは、温かみ無く、輝きの無い、
光に見せかけた闇。

光の本質は円満具足なる螺旋波動であるが、
悪魔の光は鋭角波動である。

悪魔は常に偽の光を放射し、
それに誘い込もうとしている。

欲眼にとらわれると本物の光が分からなくなる。
互いに心して気をつけるべし。

光は、四魂の旋回力から生じ、
直霊の御魂を通して放射するのだ。
一霊四魂をまったくすべし。

悪魔は、元気なときには来ない。
むしろ、弱り、困っている、そんなときを狙って
優しい慈愛に満ちた笑顔で近づいてくる。

こうした輩に魅入られることのないよう、
本当の他力というものを知っておくことが大切である。

自力衰えたときにこそ、
足らざるところを補ってくれる存在に対し、
日頃から尊敬の念をもって接しておくこと。


続く・・・