特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座376


「鳳雛舘」(2)


さて、着替えの後、いよいよ稽古に入ります。
稽古では、まず先生のお手本を見ます。

「こうです」と師の動きを見て真似るのです。

私達は、その通に動くのですが、その通りに
動いているつもりでも「違う、違う」と叱られるばかりです。

叱られることが当たり前でした。
また、叱られることが稽古だと思いました。

「剱を見たらだめだ。水火をみるんです」

いま私が皆さんに言っている言葉どおりですが、
もっと怖いですし、また意味が分からない(笑)
質問さえも出来ません。

先生の指示に心から従う・・・
これも稽古だと思いました。

若干、疑問があっても、省みると、
それは愚問であるようで、質問などは自分で
稽古の中で自分の力で解決していきました。

たとえ聞いても、先生のその答えは余計難しくて
理解出来ないものですから。

答えは、自らが見つける・・・これも稽古でしょう。

そういえば、空手時代も、よく先生から何をしても、
言っても「10年早い」と怒鳴られました。

確かに10年経ったら答えが出ました。
時間とはえらいものです。

先生の考え、動きなど、そのレベルに達するには、
やはりそれ相応の時間が必要なのでしょう。

昔、奥山先生の稽古を受けたと言う方によく会いますが、
その全員が笑いながら、そろってこう言います。

「結局、何をやったのかさっぱりわかりません」と。

いま和良久では、「八力ー八剱ー鎮魂ー75剱」と言った
稽古の流れが確立されていますが、

昔の稽古方法は、今のように整理されたものはなく。
ただひたすら先生の動きを真似るばかりでした。

もちろん基本なども無く、応用、応用の連続でした。

私が過去(空手時代)に行ってきた稽古、
雑ではあったけれど、それなりに基本になる動きがありました。

でもここにはそれが無かったのです。
私の頭の中で、これが基本的要素であること、
これはそれを強くする動き、これは柔らかくする動き、
またこれは基本から応用に移行するものだと、
種々分類を行ってき、自分でそれらを
つないでいく作業をしました。

その整理方法は、空手師範時代に取った杵柄でした。

難解なものを、この前田の体を通すことによって
分かりやすくする・・・自分はフィルター役になるんだ。

見えないものを見えるようにするため。
後世に残すために・・・そう思っていました。
そんな役になれればと願っていました。

何もかも整理して答えを弟子に譲る・・・
一見親切そうですが、自分で何も出来ない人間に
なってしまう怖さもあるようです。

さあ、稽古が終わったら整列し、
先生の先達で神前礼拝です。

鳳雛舘に拍手、礼拝の言霊が響き渡ります。


続く・・・