特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座414


「限界点」


決められたひとつの動きを、または
それとは逆に、動きを限定せずに自由に動く・・・。

限定か、自由か、

このどちらかの手段を選んで、倒れるまで、
つまり体力の限界まで動き回りますと、
本能のままに体が躍動する時を迎えます。

限界点を越え、次の世界へ移行する、
その「はざま」の通過が中々に至難の行であります。

しかし、一端越えると、また先とは違う、
高い位置に自分が立っていることを誇りに思える時がきます。

見えるもの、聞くもの、触れるもの、感じるものが
越える以前とは明らかに違う感覚になります。

武道では、それが錯覚や思い込みではなく、
相手もいることですから、確実な技として
証明することが出来ます。

私が、この武道を「生涯の道」と選んだのも、
思ったことが即形になり、言ったことが技として証明でき、
またその動きの意味に理論ずけ出来るという
「言行心」の一致が確実にあるからです。

求めるものの、その得られる答えの速やかさといったら、
これほど速くに到達を経験できる稽古事は
他には無いのではないでしょうか。

さて、具体的に限界点に没入し、
それを抜ける際の状態を言いますと、

例えば、組打ちの稽古なれば、相手がどのように打ってきても、
まるで独楽のように旋回しつつ、
舞を舞うように、極めて優雅に、しかも
正確に相手の剱をさばいていく状態に入ります。

この限界点に近づくと、体はふらふらで、
意識は朦朧とした状態となり、そしてやがて意識不明で倒れます。

肉体的死と言うのは相手の中心を断つことによって
訪れますが、

こうした鍛錬によるものは、中心を残した
仮の「死」のようなものです。

相手の間断、容赦のない連打の雨に、
恐怖と疲労で、思考力がパニックをおこし、
頭の整理がつかない事態に陥ります。

そして、長時間続く動きで、肉体のとりあえずの限界に達し、
とりあえずの死が訪れるのです。

倒れて後しばし、やがて息を吹き返します。
新たな「誕生」を迎えるのです。

虫の脱皮のように、種々の変態を繰り返し、
徐々に身も心も軽くなっていく感がいたします。

誕生の後、さらに徹底した剱の応酬を行います。
パニックの上にパニックを重ね、やがてある沸点に達します。

ロケットが大気圏を突破し、宇宙と言う、
ふんわり漂う静寂の世界にたどり着くように、
人も激しい摩擦の後にあるものは
真空の空間ではないかと思います。

人は、一体どこが限界なのかどうか基準がありませんが、
とにかく自分が限界と思われる基本ライン〜
壁を突き破ることが超人到達へのコースです。

限界を突破する、と言うことは、少し覚悟さへ出来れば、
誰でも出来るはずのものなのですが、
やはり現実に行ってみると中々容易ではありません。

ここで注意ですが、必ず、それを経験した指導者の元で
行わなければ、それこそ本当の死を迎えてしまいます。
かなり危険な賭けです。

面白半分に、慣れないものどうしでやってはなりません。


続く・・・