特定非営利活動法人 武道和良久

特定非営利活動法人 武道和良久

誌上講座 誌上講座

誌上講座454


「熊山奉納録」


岡山県赤磐郡にある熊山。

その山頂には、ピラミッドのような
幾何学的構図に基づいた、
三段に石で積み上げられた方形の戒壇あり。

出口王仁三郎聖師はこれについて、こう解釈する。

『素盞鳴大神様は、ヤマタノオロチを御退治されて後、
櫛稲田姫と寿賀の宮に住まれた。

尊百年の後、出雲の国のうち最上清浄の地を選び、
御尊骸を納め奉った。
これ吉備の国和気の熊山である。

かの日本書紀にある
"素盞鳴尊のオロチを切り給える劒は
今吉備の神部の許にあり、云々"
とあるが、熊山のことである』

ここにて是非奉納をなさんと欲し、
2004年10月9日の朝、
雨の亀岡を出口鯉太郎理事とともに出立。

まず、同郡吉井町にある宗像神社
(多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田心比賣命)
に詣でる。

また同神社内の、劒祓神社、素盞鳴神社の遥拝所から
ツルギの威徳が世に現れんことを祈願する。

参拝終わり、この社より約2キロほど先にある
「血洗いの滝」に移動。

熊山詣でに先立ち、素盞嗚尊がヤマタノオロチを
退治した後に、劒についた血を洗ったと
伝えられる滝にて、持参せし木劒を洗い清める。

洗い清めし後、滝の畔に鎮座する小さな祠
「素盞鳴神社」で天津祝詞奏上し、八劒の型を奉納。

次に、この滝より約50キロ移動し、いよいよ熊山へ。

景色素晴らしい吉井川という
大きな川沿いに車を走らせる。
川岸に屹立せし奇岩が、
この地の神秘なることを物語る。

途中、昼食をとり、さらに約3〜40分。
ようやく熊山駅の駅を右手に見、さらに数キロをいくと
沿道に「熊山遺跡」と記し道標あり。

右方向との矢印に従って山道に入り、
しばらく山道を走ると、「通行止」の看板。

「かんながら」よと、それを乗り越え、
さらに車にて山に入っていくと、
なにやら、ドカン、ドカンと大音響が聞こえ来る。

車を止めて、道の先に歩を進めると、
何と巨岩や大木が道を完全に塞いでいる。
前日までの台風の影響らしい。

そこには二人の作業に携わる方が、
ダンプカーや、ブルドーザーを操って
忙しげに撤去作業を行っている。

心中に「神素盞鳴大神様、
ここまで来て退却はご勘弁下さい。
何卒貴御陵の御側に近づくことをお許し下さい」
と願いつつ、
作業に従事せる人に向かっていく。

作業の人、自ら重機より降りて、こちらに寄る。
挨拶を交わし、熊山遺跡に行く旨を伝える。

このような危険極まりない状態の由、
これから先へ行くことはならない・・・と
忠告されしと思いきや、

「いまこのように道が崩れて塞がった所が、
4箇所ほどあるが、よければ
どうぞ気をつけてお上がり下さい」
との丁寧なる返事を頂戴する。
ありがたい、いやまことにありがたい。

また、心にて素盞鳴大神に厚く礼を申し上げる。

ここより、徒歩にて、約1時間の距離。

礼を述べ、車から木劒と稽古着の入った鞄を持ち、
いざ改めて前進。

まず、巨岩と泥で塞がった第一の難所を通過。
気をつけないと岩に足を挟まれ、枝に傷つけられ、
また崖から転落する恐ろしさ。

小声にてに「神素盞鳴大神、守り給え、幸はえ給え」
を繰り返し、ようやくにして第一の関門を乗り越える。

山を決して舐めてはならないと思い直す。

思えば、車で易々と頂上まで行き、
少し歩いて参拝の後、
また汗一つかかず帰途につけるものと
横着な気持ちでやってきたわが身を深く恥じた。

そして、吾が元に来るにはそれなりの覚悟が必要との、
素盞鳴大神様の御試しと覚り、
改めてその威厳に感服する。

さすがは、素盞鳴大神様。

道は、ほとんどアスファルトがひび割れし、
また地震の後のように波打っている。

所により、アスファルトの上を歩くと乾いた音がする。
下を見ると、空洞となっている。
土砂が下に流れ落ちているのだ。

このように崩れた道がしばらく続く。
道が崩れ落ち、下を見やると、
足がすくむような急斜面。

作業の方がおっしゃったように、
次々と道を塞ぐ箇所が目前に現れる。
二つ目、三つ目・・・と、難所を祈りつつ、
息せき切って乗り越えていく。

涼しい季節に入ったとは言え、
急勾配を歩きはじめると前進汗まみれとなる。

お茶も、食べ物も、何の用意もせず、
手ぶらでやってきた己の甘さを反省する。

喉が渇く頃、道の傍らに
山から水が流れ落ちているのを見つける。

これは天の恵みとばかりに喜び、
また、神前に入る前に口と手を洗う
御手洗所かとも思え、その綺麗な清水に、
顔と手を洗い口をすすぐ。

おかげで気持ちも体もすっきりとし、
さらに勇んで奥へ進む。

難所も怪我も無く、すべて通り過ぎた頃、
突然どこからともなく大きな蜂が飛来し、
二人を襲う「かむながらたまちはえませ」と念じ
「蜂のひれ」を持つ気持ちにて、
ふるべゆらと手を振りつつ先を急ぐ。

空気が、ますます清らかさを増した感じがする。
頂上は近いと察する。

すると、何とも言えない心地良い香りが二人を包み、
心も体も癒される。疲れが徐々に消えていく。

そして、ようやく登頂。

素盞鳴大神様の懐に入ったような言いようの無い、
厳粛な雰囲気に打たれ、心が引き締まる。

香りは、素盞鳴大神様の御陵である戒壇まで続いた。

ここが御陵・・・感動に言葉もない。
早速、奉納のため、和良久の稽古着に着替える。

着替えし後、そのあまりの気持ちの良さに、
しばし言葉を忘れて沈黙のうちに二人は座り込む。

今日は週末の土曜日。

通常なら、ここは公営の遺跡なので、
観光客も三々五々訪れるところであろうが、
運良く?台風で通行止めとなったおかげで
誰も訪れる者もなく、まったく我々の貸切状態となる。

よって何の気遣いも無く奉納に没頭できるありがたさ。

戒壇の前に、持参せし、神戸の市田様より賜わりし
出口日出麿先生筆の短冊「真剣」を置き、
天津祝詞奏上。
続いて奉納。

鯉太郎理事と二人息をそろえて
「八劒の型」「75劒」を言霊発声しつつ
素盞鳴大神様にありったけを納める。

そして、五方向に向かって咲く
梅の花「ア行」「ダ行」の型。

〆は、岩戸開きの素手の型「ア行」。

以上奉納、時間にして40分ほどか。

本日の雨が降るとの予想も当てはまらず、
心行くまで奉納出来たことの幸せを深く噛み締め、
また万事よく進めていただいた
神々様のご配慮に心から感謝する。

神劒発動し、万民を救う究極の技とならしめたまえ
すべてが歴代教主様の御心に適いますよう

再び世に跳梁跋扈せしヤマタノオロチを
裁断する力を我に与えたまえ

そして、万民和楽のみろくの世を来たらせたまえ

続く・・・・