特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座470


「偽の日本ブランド」


昔、海外に渡るということは命がけの行動であった。

彼らは、刻々に変わる容赦無く打ち付ける風雨や
荒波に耐え、彼の地に命からがら上陸したのである。

彼らをそこまで耐えさせたものは何か?
国を背負ったことへの使命感であり、
果たすべき夢ではなかったか。

彼の地へ渡った日本の侍たちは、自国を誇りとし、
また相手国へ伝えるべき日本独自の心と技を
しっかりもっていったのだ。

その根底にはゆるぎない日本魂が輝いており、
厚き神の守護をして、その使命を是が非でも果たす
という猛烈な精神力と行動力があった。

そこには一片の私心も介入しない大志があった。

しかし、現今の外国へ渡る外交の徒をみるに、
まことに腑抜けな者たちが海を渡っている。

腰の入らない、水火の弱い、病弱な者が
他国と日本との未来を賭けた大事を
話し合うなど、本当に情けないことである。

自分には力が無いので、その組織を頼りとし
「虎の威を借りる狐」式で交渉ごとをなさんとする。

強靭な体力(三元)と、不屈の精神(一霊四魂)、
そして追従を許さない技(八力)をもったものが、
異国に飛び交渉をなすべきではないか。

また、その為の命を賭けた訓練を
しっかりして行くべきではないか。

それほど、いまの時代は
風雲急をつげているはずである。
それらの人に、その危機感が無いのだろうか。
また、使命感は?日本を愛する心は?

荒療治ながら、この切迫した時代を切り開き、
膿を出すほどの技と志なき者は、
他国へいくことは日本にとって
マイナス以外のなにものでもない。

「外国語が出来るから」というだけで、
また「役職がある」と言うだけで、
海外に出向させる組織がある。

これは企業に限らず、宗教団体でもそうである。

出向する当人はと見れば、顔色青い病弱で、
日本のことをそれほど愛しておらず、
もちろん伝統芸能にも疎く、
よって腰の据わらない、礼儀知らずの者がなぜか多い。

確かに、外国語をものし、またその高い役職を得た
努力というものは賞賛すべきであろう。

しかし、有る意味、日本を見向きもせず
勉学に励んだのも事実ではないか。

そんな人たちが、海外に行って日本を紹介する不可解さ。

自分自身は何も出来ず、どこかで見たような
芸事を思い出して、にわかアーティストとなるのである。

おかしな姿で、ソース味の日本人を演出する様は、
見ていて情けないのを通り越して、
同じ日本人として腹立たしい。

海外文化交流と称して、日本にいる間は、特に専門に、
茶道能楽、武道など熱心にやったこともないのに、
いざ、海外へ行くとなった時、にわかに稽古を始めだす。

見世物的に日本伝統芸能を紹介するのである。
それも、表向きだけ。

格好さへつけば、詳しいことは向こうの人には
分からないから・・・と舐めてかかっている輩が多い。

そして帰国して、その後も稽古を続ければいいが、
そんな根性など無い。

日本を知らない日本人が、日本人の振りをして
「私は日本人」だと、妙な着物の着付けで海外に行く。

それは、もう茶番劇「ジャパニーズサムライショー」である。

そんな日本人を見て、向こうの人たちが
「これこそ、真の日本の芸術家だ」と
賞賛するのだとすれば、
体を張って専門的練磨を積んでいる者たちにとっては、
かなり迷惑な話である。

技というものは、一朝一夕にして
身に着けられるものではない。
同じ日本人なら、そういった本物の世界にいる者への
配慮も欲しいものである。

偽者の横行。偽ブランド品が問題になっているが、
これは品物ばかりではない。
人間も偽者が出回っているのである。

日本でうだつの上がらない一部の連中が
海外に行って成功を収めている現実をみると溜息が出る。

日本でアルバイト的にしかやったことのない寿司職人が、
むこうで一人前にやっているという。

日本で相手にされなかった武道家が
海外で大先生になって道場を手広くやっているという。

もちろん、これはすべてではなく、
一部の心無い人たちの所為である。

今日も、そんな連中が金メッキを塗っている間にも、
同じ時間に、黙々と、己の技と心を磨いている人間が
いることを忘れないでいただきたい。

にわか能楽師、にわか茶道家、にわか武道家、
にわか外交官をこれ以上
海外に渡らせないようしなければならない。

日本を壊すのは、他ならない日本人なのかも知れない。

また、今後、益々グローバル化していくであろう
日本を救うのは偏狭で、
人見知りする職人気質なのかもしれない。

続く・・・