特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座502


「天国の技とは」


一体私たちは何のために稽古を
しているのでしょう。

強くなるためですか?

自分の身を護る為ですか?

災害時に自分だけが生き残るためですか?

変わったことをして人を驚かせたいためですか?

人の出来無いことをやって
優越感を味わいたいためですか?


さて、では和良久は何のための武道でしょう?
ここを一所懸命考えていただきたいのです。

もう一度和良久の主旨をご覧いただきたい
と思います。
http://www.walaku.com/npo.htm

私たちは、稽古によって心身の向上を願っています。

少なくとも、他と競って倒すようなことは
目指していないことは分かってもらえると信じています。

どうしたら、人に優しく接してあげれるのか。

どうしたら、自分の尖って、角張った心を
丸くすることができるのか。

稽古を通して神様の御心を覚りたい・・・
そう痛切に願って今日も劒をとっているはずです。


「相手との水火を合わす」と
稽古で行っておきながら、なぜ、それを
私生活の中に生かせないのか・・・と
思ったことはありませんか?

稽古と、私生活とのギャップの無い自分を
練り上げることが何より優先した目的であるはずです。

難しいことはいらないのです。

●まず、基本は「人との挨拶を忘れない」こと。

そして続きます。

●自分の履物をそろえること。

・・・これは皆が稽古で木劒をきちんと扱うのと同じです。
木劒を粗末にする人は上達しません。

●食べ物を残さないこと。
口から呼吸を取り入れてこそ、
動ける有難さをしっているのが稽古人のはずです。

口から入る食べ物によって、体がつくられています。
それで私たちは動けます。

何より食事を作ってくださった方に対する感謝を
もてないで武道という道にはいれるはずもありません。

●食べる時は、手を合わして感謝していただくこと。

・・・何より動物や植物の「尊い命」を
いただいていることに対する感謝と恩を思わないで、
和合の技もあったもんじゃありません。

●人を妬まず、羨まず、蔑まず、不快を与えず、
温かな眼と言葉、そして態度で接すること。

・・・妬み恨み蔑みは、悪魔の力「鋭角波動」の
最たるものです。

温かな眼差しと言葉は悪魔を滅ぼし、
螺旋波動を放射します。

●威嚇(いかく)する言葉、行動を慎むこと。

・・・和良久の技は格闘技ではありません。
大声を出したり、人を驚かしたり、俺は強いんだぞ、
と言う態度を表すことは弱虫のすることです。

●陰口を言わない。人の批難をしない。

・・・人を批難する前に自分はどうなのか?
たとえ、その言葉は相手に聞こえなくても
水火のネットワークは、見えない空間を伝って
相手に必ず届きます。それが水火の力です。


特に最初の「挨拶」については、
人が人として生きていくうえにおいて
基本中の基本であると存じます。

また、挨拶と言う所作には、
技の上達においても欠くことのできない要素を
多々含んでいるのです。

(これは、確か「礼節」か何かの題名で、
以前に誌上講座に書いたことです)

挨拶には「間をしめる」「水火を合わす」「打つ」
など技をこなすにおいて重要なことを
すべてふくんでいるのです。

挨拶の出来る人、挨拶の気持ちの良い人は、
和良久においても抜群の成長を遂げています。

逆に、挨拶の出来ない人、たとえ出来ても
和良久の稽古人同士や、知人、友人など、
顔見知りの者同士なら愛想が良いが、
見知らぬ者には本当に冷徹な態度をとる方は、
残念ながら、今後いくら技を練っても
決してものにはなりません。

例えば、亀岡では大本内にあります
天恩郷の鳳雛館を使わせていただいて
和良久を稽古しています。

稽古のために天恩郷に来ますと、
顔をあわせるのは、稽古人どうしばかりではありません。

あなたは鳳雛館に行く道すがら、
大本で奉仕されている多くの方々と
すれ違うことになります。

そんな時いかがでしょう?
笑顔で、はきはきとして「こんにちは」って
挨拶が出来てますか?

知らぬ顔して素通りしてませんか?
不快感を与えていませんか?

「和良久は戦わない和合の武道」です。

そう人に紹介するのなら、
まず自分が人との和合が出来ていないと・・・。

ただでさえ「武道をしている」というだけで、
人は腰を引いてあなたを見ます。

道着姿に袴をつけ、木劒を下げて歩いていますと
あなたにはそんな気は無くても、人は「偉そうに・・・」
と言う気を持ってしまいます。

あなたは出来る限り腰を低くして、
出来る限りの笑顔をもって、
出来る限りの優しい言葉をもって
「こんにには」「こんばんは」と礼を尽くさねばなりません。

これは人に媚(こび)を売るのではありません。
「相手より下に」と言う劣等意識がもしあるのなら
あなたは思ったより肝っ玉の小さい人間です。

イエスは言いました。
私は人々に仕えるために来たのだ・・・と。

「実るほど頭を垂るる稲穂かな」の例え通り、
次元の向上を遂げた者ほど、
自然にその態度は低いものです。

意識して低くいのではなく、
無意識のうちに低い態度になるのです。

これは「人はすべて神の子」と言うことを
覚ったゆえです。

人に対し態度が横柄なのは、
いまだ神を認めていない証拠です。

技の向上は「こんにちは」の
挨拶ひとつに尽きると思います。

何のかかわりが・・・と思われるかも知れませんが、
実はそんなものなのです。

人に対し、どれほどの愛情を注ぐことが出来るのか。

螺旋力と言うものは、熱と光の存在です。

螺旋が備わっているか否かは、
その人の日常の態度を見れば分かります。

劒の稽古のみに偏らず、日常生活の中において
和良久を生かしてください。

すれ違うすべての人々に、
あなたの熱と光を放射してください。

人があなたに対し「いい感じの人だな・・・」
と思われたら、あなたは神に祝福されたも同然です。

神は、人の心を介してあなたに栄光を与えます。

さあ、今日から、今すぐ、あなたの技を
あまねく人々に施してください。

難しくありません。
「こんにちは」と笑顔で挨拶する・・・それだけです。

あなたの明るさをもって世を照らしてください。
冷たく暗い表情は地獄の顔です。

笑顔・・・天国の顔を振りまいてください。

挨拶・・・天国の言葉で語りかけてください。

行動・・・天国の柔らかな身のこなしで接してください。

もし、こういったことも出来ないような人たちが
和良久に集うのなら、私は和良久を解散します。

それは、この稽古が間違いであった証拠ですから。

私は、世の人々に不快感をもたらすような人が
育つ稽古なら存在させてはならないと思っています。

『武道は、みろくの世になっても必要なものである』
と三代教主様はおっしゃいました。

人を傷つけ、人に不快を与えるものは
地獄の技です。

弥勒の世になっても必要な技とは
どのような技なのでしょう?
和良久は何のためにあるのでしょう。

さあ、考えてください。
私も考えます。

そして行動に移してください。
私も行動に移します。

皆様の今後の人に接する態度如何によって
和良久の存続を決めたいと思います。


続く・・・