特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座549


渾身の力を振り絞って


くたびれる、疲れる・・・というのは、
どういった時におきるのでしょうか?

自分のもてる力を出し切ったとき?

いえ、違います。

実はその逆で、自分のもてる力が出し切れず
「まだ出来るのに」と、相当の余力がのこってる時なのです。

出すべき力が出せずに、その力が残ると疲れます。
出し切るとスカッとします。

力というものは、すっきりと出し切れば
また新しい力が入ってきます。

エネルギーは循環しています。

新たな力を望むなら古い力を一掃すべきです。

このサイクルを心得ていれば、
かえって出し惜しみというのは疲れるんだということが
自覚されることでしょう。

力を入れるとき「どこそこに向かって力を入れる」
という力の及ぶ尺度をもちます。

そして、目的の域まで自己の力が届いたとき、
初めて出した力は目的を果たし
心地よい達成感を味わいます。

しかし、目的地点まで届かずに途中で途切れてしまい、
力が出し切れずに終わってしまった時、
ものすごいストレスが襲ってきます。

話においても、相手に自分の本心を伝えきれずに
終わってしまった時などもストレスです。

急ぎ車で走っているとき、前に遅い車があって、
先に進めないときもそうです。

思いが遂げられなかったとき、
力が出し切れなかったとき、
話が途中で遮られたときに「疲れ」を感じます。

しかし、これとは逆に、精一杯全力を尽くして
しかも目的を果たせたときは、大変な充実感と達成感に
包まれてとても幸せな気持ちになります。

このときは、いくら力を出してしまっていても
まったく疲れません。

人に、自分の伝えたいことが伝わって
理解を得たときもそうです。

自己の発するエネルギーが目的通りに届き、
しかもそれが形となったとき無常の幸福感を覚えます。

剱の打ちもそうです。
一点に集中し、自分の内在する力の総てを出し切って
打ったとき、たとえられぬ爽快感を味わいます。

技に関しても、このように総ての力を発揮して
技を出せば疲れないのです。

力が通るべきところへ通り、何の障害もなく抜けて、
それが目的地点までしっかり届いたときに、
人は無量の達成感を味わいます。

そのとき、また新しい力が湧いてきます。


人は目的をもって生きています。

あそこまで行こう・・・という気持ちが
重い足を前に進ませます。

その目標に対し、自己のもつ総ての力を出し切れたとき、
人はどれほどの幸福感を味わうことでしょう。

とにかく目標は高く持つ。
植物のように上へ上へ伸びていくように。

しかし、同時に上に伸びた分、根は
自然と見えぬ土の中で強く張っていくのです。

見えぬ部分が見えない部分を支えます。

道にあるものは、ややもすると、
何事においても遠慮がちになるものです。

足元ばかりに気をもっていってはなりません。

謙虚なのはいいのですが、
自分を卑下し過ぎるのはいけません。

自分の力を押し殺してはなりません。

せっかく神から与えられた天賦の力を
出せぬままに死ぬのは、
これこそ大いなる「疲れ」であります。

植物のように、あくまで上に伸びることが主で、
下に根を張ることは従であることを忘れてはなりません。


武道の稽古において、剱を打つ。

たがが剱の一振りですが、溜めた力の総てが抜けるほど
力を出し切れた打ち方が出来れば、
どれだけ幸せなことかと思います。

私たちにとって、この一本の打ちに人生の総てがあります。

これは瞬間ですが、同時に永遠の生命輝く躍動感を感じます。

一振りに人生の総てが匹敵するほどの力が
注ぐことが出来るよう今日も精一杯
稽古に励みたいと思います。

ともに一振りの中に宇宙の真相垣間見ましょう。

そして、おのおの人生の最後の日を迎えたとき、
全力を出し切った充実感を味わって
軽やかに国替えをしましょう。

どうです?

いま充実してますか?
力が余っていませんか?

周囲の誰かに不満をもってくすぶっていませんか?

そんなことを考える暇があったら、
まずあなたの傍らにある剱をとってください。

そうして渾身の力を振り絞って
全力で一本振り下ろしてみてください。

頭で思い悩まず、体を使い行動で解決していくのが
稽古人の姿というものです。

より強く、より速くと、一本に全力をかけて
最高の体の使い方を求める過程において
人は純度の高い体の組織と高度な魂を形成します。

命をかけて成らぬことなどこの世にありません。


続く・・・