特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座90


稽古における想念(3)


日本が戦争に負けて、戦勝国の思想やら、
体育理論まで染まらせられたことも、
思えば日本民族の持つ強烈な「腰と腹」の文化を
なくすためだったのかもしれません。

特に日本人特有の武道精神の根元である武道の練磨は
全面的に禁止させられる危機もあったようです。

西洋スポーツの振興は、日本人の「腰と腹を抜く」のに
最も適した作戦であり、それは大成功でした。

腹で考えず頭で考え、
腰を入れず各部分の筋肉で動きを行わせることで、
日本人は「中心」と「重心」を見事に失ったのでした。

ある意味で、外国人は本当の日本人のもつ底力を知っていたのでしょう。
スポーツなどの普及によってその目的は達成されたようです。

元来、肉食の外国人と草食の日本人ではその戦闘に対する
能力と考え方は根本から違うようです。

我々は決して戦ってはなりません。
日本は世界に和の心を示せる唯一の国です。

いまこんな世の中だから、そういったことを思い
よけいに踏ん張らねばなりません。

「それじゃ、誰かが襲ってきたらどうする?」
「戦う術がないとやられてしまうじゃないか」

そう言われるかもしれませんが、それは例えばアメリカの
銃社会と同じことです。

「銃を所持しなかったら、所持している者にやられるから身を
自分を守るために持っているんだ。一体だれが私を守ってくれると言うんだ。自分の身は自分で守るのがあたりまえじゃないか」

この考え方は、大きくは核保有にも同じことです。
人と人、国と国のレベル差はあれど変わりません。

これではいつまでも平和な社会が来ようはずがありません。

これは世界の力の根源的柱である「武道精神」の大なる
誤まった考え方に問題があるように思えてなりません。

自分を正義とし「戦って相手を倒して勝つ」ことが讃美されるような
ことは武道精神ではなく、それは覇道の精神です。

現代で言うところの武道精神は、いくさや戦争のなかで培われた
戦闘に生き残るための思想が大半です。

「自分さえ良かったらいいんだ」という「われよし」の心。
それを「国のため」「正義のため」などと美化したものが
現代の武道精神です。

そんな中世の頃あたりを起源とする、いくさの思想を根本に
もってきて「武道精神」と位置付けるのはいかがなものでしょう?

「そんな大げさな」と言われるかもしれませんが、
いま日常で行われているスポーツや武道の中に反映されているのが
この「覇道精神」なのです。

まことの心の根元を追い求め、和合を求めるなら「神代」
にまでタイムスリップすることです。

もちろん、言い置きにも書置きにもないような時代です。
「それじゃどうしてそれを知るのか?」

心を浄化するとか、善業を行うとかといったレベルにとどまらず
体全部をアンテナにし、全身全霊をもって創造主に向うことです。

神様は必ず「言い置きにも書置きにもないようなこと」を 教えて下さいます。

神様は宣言しています。

「いままでのことは用いぬぞよ」
「いいおきにも、かきおきにもないことをやるぞよ」
(大本しんゆより)


続く・・・