特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座121


「本物と稽古」


書道を芸術として発展される方は、其の揮毫された字について、
素人の目からはよく理解の出来ない字があります。

しかし、素人ながらも何かその字から訴えるものを感じます。

同じ字を素人が真似して書いても、そういった「気迫」を受ける
ことは出来ません。

やはり物事にはこつこつと時間をかけ、
静かに熟成をまつ辛抱が 大事のようです。

武道に限らず、絵でも、字でも基本の出来てない者が、
いくら達人たちの真似をしてもしてもやっぱりコピーでしかありません。

腰の入ってない府抜けたものではいけません。
本物としての「重さ」が大事ではないかと思います。

書道の世界も、基本を知り尽くし、長い修練を経て、様々な応用を探り、
やがて自己の特性を活かした字を発見されるのでしょう。

そう思いますと、重さというのはその人が一心になって歩んできた
歴史ではないかと存じます。

見えない部分の努力。
人に見えるのは氷山の一角かもしれません。

しかし近年、その「わずかな一角」を見れる人が
ぼつぼつとでてまいりました。
嬉しいことです。

「本物だけが残れる時代に入った」
四代教主様はそうおっしゃって天津御国に上がられました。

本物とは、「本(もと)になる物」です。
もとになるもの、原点となる究極のものへの回帰だと思います。

創作するのではなく「元に返す」ことが大事ですが、
その元、つまり物事の根源を探求ことは並大抵ではありません。

中途半端な時代ではなく、元の時代、
つまり「神代」へ馳せる強い思いと祈り、
そしてそれを持続させる忍耐が必要です。

流行に押し流されず、
逆行する勇気と信念をもって勇往邁進せねばなりません。

どこまで元に戻れるか、ひたに祈りつつ稽古を重ねなければと思います。

これは外面ではなく、いかに内実を図るかです。

稽古という意味は、「古(いにしえ)を考える」ということです。

以上の意味を踏まえてみますと、「本物」を目指すには
たゆまぬ「稽古」しかないと思います。


続く・・・