特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座260


「違うけど、違わない」(3)


現代人は、単純なことが出来なくなった・・・
と言えます。

和良久が難しいと言われるのも、
教える私たちの技量不足はもちろんですが、
以上の理由もあるように思われます。

角張った動きは、順序を経て覚えやすいのですが、
まろやかな動きについては、とらえどころが無く
難しいのでしょう。

思えば簡単すぎるのも、
逆に言えば難しいことなのかも知れません。

さて、よく冗談で「クルクルパー」と言って、
人差し指を回して後に、
手をパッと開く動作がありますが、

あれは中々真理をあらわしているように思います。

物事をクルクルっと円く治めて、
パーっと開放させる動作で、
例えば和良久の剱の技は、
まさに「クルクルパー」そのものです。

クルクルっと旋回して受け、ぱっーと打つ・・・
75剱の技の基本リズムとまったく同じです。

螺旋は、歴史であり、輪廻転生であり、
やがて明るい未来へつなぐ覚醒への道です。

なぜなら水火(生き〜生命)は
巡り巡る宇宙の回転だからです。

二度と同じ過ちを繰り返すことなく
向上して止まないこの普遍のリズムに
うまく乗れることが大切でしょう。

それは、まるで子供の時に大勢で遊んだ
「大縄跳び」の縄のリズムに入っていく
ようなものではと思います。

螺旋は、水にあっては波となり、
空にあっては雲を動かす風となって現れます。

また人にあっては、肉体の動きと現れ、
心にあっては情のうつろいになるでしょう。

それは一定のリズムのようで、実は一つ一つが、
周囲との調和のために先を見越して微妙に時と場を
変化させ続ける大自然の「ユラギ」そのもの
ではないかと思うのです。

話は、長くなりましたが、このように螺旋の技である
和良久は変化の連続です。

しかし、本質、つまり「一霊四魂」「八力」に
変化があろうはずはありません。

神の言葉である言霊は普遍のものです。

しかし、人の使う言霊は、人にも形や音や色が
違うように、違ってしかるべきでしょう。

稽古で言えば、75剱は、75声の働きですが、
これも人の音声に違いがあるように、
剱の動きも段階によって特徴が出てくるのは
しかたありません。

動かすことの出来ない法則は、
神の真理から出るものであり、
我々、人は、その動かすことの出来ない
法則に基づいて、鍛錬を繰り返し、
いろいろと変化、変遷を遂げながら、
やがて動かすことの出来ない真理に
もどっていくのかも知れません。

違うけど、違わない・・・

違わないけど、違う・・・

この矛盾が矛盾に感じなくなった時、
永遠と瞬間というものが同時にとらえる次元に
立っているのかも知れません。

続く・・・