特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座267


「神剱の里を訪ねて」(1)


天理市布留町布留山。

荘厳な天理教の建物に圧倒される中に
石上(いそのかみ)神社はあった。

またの名を「布都御魂神社」という。

古来よりフツノミタマノツルギという神剱が
わが国に伝わるが、この神社はその神剱を
ご神体としている。

この神剱は正義の力として、神武天皇もふるい、
建国の中で重要な役割を果たしたという。

武甕槌神、経津主神が、
この剣の神格化した姿ともいわれる。

また、ここには垂仁天皇の時代、
丹波国桑田村(今の亀岡市)の人で
ミソカという者が三種の神器のひとつである
八尺瓊勾玉を献じたと伝えられる。

これはミソカの飼い犬が山の獣を噛み殺した時に
腹の中から出てきた珍宝である。

素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した時、
その腹中の、アメノムラクモノ剱を取り出し、
天照大神に献上した話と似ているのも面白い。

さて、このフツノミタマノツルギの神徳を得て、
茨城県の鹿島神宮で起こったのが
「鹿島の太刀」と呼ばれるものである。

国摩真人(くになずのまびと)が
「攻防一体」の性格が強い技に
鹿島の剱に「虚実一体」の真理を導入して
「神妙剣」を創案し、
のちの「鹿島神流」という剣術流儀となった。

鹿島神流の流れには、新陰流の上泉伊勢守秀綱がおり、
この秀綱が奈良の柳生石舟斎宗厳に技を伝授、
石舟斎はさらに深く練磨し、やがて神妙を得て、
無刀取りの神技を完成し「柳生新陰流」を創始する。

ふるふると あらそいはらうつるぎわざ
いまよにいでて くにをまもらむ

・・・ただ奇びなる霊剱の伝承に心打ち震える。

同神社は岡山にある同名の布都御魂神社から、
ここに遷ったのであるが、オロチを退治せし
素盞鳴尊の剱は、岡山の熊山に納められているという。

岡山の宮本武蔵が、この奈良の柳生に
訪ねてきたのも何か深い因縁を思う。

さて、石上神社を出て
柳生の里に足を運んでみようと思った。
兼ねてより是非行ってみたかった所だ。

石上神社から約一時間車を走らせる。
やがて柳生の里が広がる。

続く・・・