特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座268


「神剱の里を訪ねて」(2)


何の下調べもなくここへやってきた。
しかし、さすが剣術の里である。
腰をすえて歩くと妙jに感が冴えてくる。

「きっとここに何か秘密があろう」
何の躊躇もなく山に向けて歩いていくと
神社があった。

「天石立(あまのいわたて)神社」と言う。

かってここで柳生石舟斎、
および柳生の武士たちが日々練磨したという。

鳥居をくぐり、しばらく歩くと、
とてつもなく大きくて平たい岩が2〜3枚ほど立っている。
われ知らず腹の底から力が湧き起り涙があふれてくる。

さらに奥へ行くと礼拝所がある。
その立て札にはこう書いてある。

「天乃石立神社の祭神は、天照大御神、
豊盤門戸命、櫛盤門戸命、天盤戸別命と
なっているが、神体は扉の形をした巨岩で、
前伏盤、前立盤、後立盤の三つに割れている。

前立盤は高さ6m、幅7.3m、厚さ1.2mあって、
全体が扉の形をしている。

伝説によると、神代の昔、高天原で手力男之命が
天岩戸を引き開けたとき、力余ってその扉石が、
虚空を飛来し、この地に落ちたのだという。

正保二年(1645)但馬守宗矩は、参道を修理して
並木を植えているし、
宝永二年(1705)柳生宗弘(のち藩主俊方)は、
能舞台を建て石燈籠を寄進し、
寛保二年(1742)藩主 俊平も、石燈籠を寄進している」

たぢからお かみのちからのすさまじさ
いままのあたりにするぞうれしき

ここで意義を正し、天津祝詞を奏し、
心をこめて和良久を奉納させていただく。

さて、さらに奥のほうへ進むと
「一刀石」と言われる巨岩があった。

真っ二つに切れたように、
綺麗に割れている巨岩である。

その昔、柳生宗厳が修行のため
山にわけいったところ天狗が現れて勝負となった。

宗厳は思い切りよく刀を振り下ろす。

しかし、天狗を切ったと思い見れば、
あにはからむや、それは大きな岩だった
・・・そんな伝説が残る。

宗厳はこの天石立神社で心魂をこめて修行を積み、
ついに柳生新陰流を創始した。

いっとうの いわのきれめにいきあわせ
いにしえしのび はちりきなさむ 

柳生宗厳が無刀取りの神技を編み出し、
その技をもって五男の宗矩(むねのり)が
将軍家の指南役に抜擢された。

そして、宗矩は戦乱の世を治めんとして、
殺人刀を活人剱として昇華させる理念と技を確立した。

殺人のための技を、人と世を治める技として、
時の最高権力者に教授した
稀有なる武道家が存在したことは、

われら武道を行ずるものにとって
これほどの励みはない。

たかがぶと ひとはいえどもこれほどに
いのちがもゆる みちもあるまい

人を殺す「刀」を、人を活かす「剱」の力に
変えることが出来たのは、いや、そのように
仕向けたのは素盞鳴尊の計らいにより
手力男の発動があったのはいうまでもない。

この度の、石上神社から柳生の里を訪ねて
強く思った。

そして、ばらばらであった剱の霊統が
少しずつつながっていく。

いま本当のことを残さねば
時代に消されてしまう・・・と、私は真剣に思う。

続く・・・