特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座359


「礼の徹底(1)」〜身をもって世に示す技の極意


人心の荒廃が進み、道法礼節まったく廃れ、
魑魅魍魎の咆哮し、我が物顔に闊歩する
おぞましき世となったいま、

それに対し、なす術も無く、ただなされるがままに
天に運を身をゆだね、

いずこからか白馬にまたがって
救世主の現れる来るを心待ちにするばかりなるか。

しかし、すでに現れし救いの神は、
我々自らが立ち上がり、荒れ果て、歪んだる道を
直ぐに建て直す術を与えられていること、まことに有難し。

さて、他力を呼び込むは、
猛烈なる自力を必要とすることを思いなおせ。

自力、自力。

神はこれを待ち望む。

我々が、いつ自らの足で立ち上がり、
荒れ野の草を薙ぎ払うのかを神は待ち望む。
それに火をつけるのは誰なるぞ、と。

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調子、拍子、間というが、これ三田の活用が
いかなるかを表したものである。

調子は、左右の働きで胸式呼吸をもって上田で、

拍子は、上下の働きで腹式呼吸をもって下田で、

間は、前後の働きで胸腹両方の呼吸をもって
中田で行う。

こういったものは技にとって不可欠の要素であるが、
この要素が実は礼の作法にあるのである。

礼の作法、これは技の仕上がりの基準なのである。

『永い静寂の中の一瞬の閃き』というのか、
われわれは、その時を待ち、その時のために
心身をひたすら練っているのである。

和良久の技は、稽古場において剱を持って練り、
平素の生活において剱を持たず技を活用する。

礼のひとつもろくに出来ない者。
つまり、剱の技を知らぬ者と知る。

何を練っているのか。
何をなさんとしているのか。

その言葉遣い良しや?
その動き良しや?
その思い良しや?

何の道場に於いて振るう剱の技の未熟なること、
すぐその礼をなすにおいて相手に見破られるならむ。

無駄のない所作、息、心。

それ起居動作にすべて現わるるものなり。

同士よ、心せよ。
われも心する。

気迫をもって命がけで、命がけで。


続く・・・