特定非営利活動法人 武道和良久

特定非営利活動法人 武道和良久

誌上講座 誌上講座

誌上講座493


「円陣」


複数の稽古の際、静かに円陣を組んで座ります。

そして、皆で八力の型の内の「ス」と「ウ」を行います。

円陣の中心に意識を集中して、
ゆっくりと水火を練っていくのです。

繰り返していく内に、しだいしだいに、
水火が大きな球体として
形造られていくことを感じてきます。

それは、まるで気球のようです。

そう気(水火)が球体化していくのですから、
そのまま気球という名がふさわしいかも知れません。

また膨れ上がっていく気球は、熱を帯びてきます。

特に「ウ」で、両手を正面に返して
押さえに入った時、両手に温度を感じます。

また両手の掌を越えて、
体自身が熱くなることもあるでしょう。

一人稽古では分からなかった人の持つ潜在的力も、
こうして大勢で集中して水火を練ることによって
実際に感受することが出来ます。

また、皆で同じ動きを行うことによって
連帯感も生まれてきましょう。

円陣そのものが「水」であり、記号で言えば○、
円陣の中心が「火」であり、
これを「・」(ホチと読む)です。

この「○」と「・」を合わせた記号を
「スの印」と言いますが、これは「水の中の火」であり、
水〜肉体と、火〜霊魂を表しています。

肉体は、霊魂が宿ってこそ活動するこを得ます。

大きくは、地球の中心には核がありますが、
これも表面は水、真ん中は火であります。

この核になる「火」の存在があるからこそ、
地球は「生きている」と言えます。

内(火)から外(水)へ、外(水)ら内(火)へと
繰り返されるエネルギーの膨縮する様は、
熱と光をともなった「何か」を確実に体感させてくれます。

この膨縮圧の繰り返しこそ、原始の力の発生であり、
宇宙創造の音声「スウ」の力なのです。

また、この稽古では、もう一つ大切なことを学びます。
それは物の見方です。

眼球を動かさず、視点を一点において、
同時に視覚を拡げるということです。

円陣を組んで型をゆっくり行うわけですが、
この時自分だけの動きばかり見ないで、
周囲全体の動きを同時に観ることです。

人の眼は、かなり範囲を広くとらえることが
出来るにも関わらず、
目前の事象ばかりに執着してしまうことによって
視野を狭くしてしまっています。

これは物質の形や動きをとらえるのみならず、
心の持ち方の大小にもかかわるものだと思います。

全体を観つつ、一点を見ることです。

集中し過ぎると、周りのこと、
近くのことが眼に入りません。

逆に、遠いところや周りばかりをぼうっと観ていては、
目前の大切なことも見落としてしまうでしょう。

以前にも少し、お話したかも知れませんが、
武道では「見る」と「観る」の違いを大事にします。

一対一であるなら、例えば、相手の眼だけを見るとか、
手だけを見るとか、劒だけを見るとかして、
ある一箇所に固着してしまうことを戒めています。

どの角度から、どのようなタイミングで、
どれくらいの力でくるのかを察知するのに、
ある一箇所に気持ちが固着していては、
的確な判断が出来ません。

まして、これが相手が多人数であればなおさらです。

例えば、10人が相手なら、そのうちの
一人だけを見ていたら、他の9人にやられてしまいます。

誰が詠ったか、武道の道歌に、このような歌があります。

『大勢の敵を相手にするとても一人の敵と思い戦え』

全体を視野に入れる豪胆さと、
細部をあしらう繊細さが同時に必要でありますす。

「見る」と言うのは、集中であり、
接近であり、外観であり、物質的であります。

「観る」は、拡散であり、遠方であり、
内観であり、霊的であります。

物の本質を捉えるには『見の眼弱く、観の強く』
することが大切です。

具体的な稽古としては、型を行う際に、
他の大勢の人たちの動きに
自分の動きを合わせることです。

他の人に遅れることなく、また早くなることなく、
まるで申し渡しかのように
同時に動くことが出来るように気を払います。

自分の動きを見つつ、
周囲の動きを観るという心配りが大切です。


続く・・・