特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座539


最強の神たち②


布留を演ずる中で、
自然足の向きが『星』形に踏み出した。

そして、まっすぐに身体は直立し、
両腕は大きく左右に広げられた。

不思議や、このポーズをとったとたんに
体の力が充実し、全身からまばゆい光が
放射しているような気がし

「われここにあり!」と心が勇み、
何も怖くなくなってきた。

これは一体・・・?

その謎は、これからお話しする、
ある一柱の神の物語を知ったとき納得出来た。

・・・素盞鳴尊は、八俣大蛇を退治し、
その大蛇から取り出したる剱を
天照大神に献上した後、
大蛇から救った櫛名田姫を妻となして
須賀の地に住む。

時を経て素盞鳴尊は大国主命に
この地上世界の支配権を譲渡した。

やがて天津神たちが豊葦原の中津国を
支配することを決定し天孫降臨が計画された。

そして、それに先立って建甕槌神と経津主神などの
武神の誉高い神々が威風堂々として下され、
抵抗する国津神たちをことごとく
打ち負かし屈服させた。

しかし、驚くべきことに、
この無敵の二神でさえ手におえず敬遠した神が、
一柱この地の国にいた。

名を天津甕星(あまつみかぼし)、またの名を
天香香背男(あめのかかせお)と言う。

星の名を背負う唯一の地上神である。

建甕槌神と経津主神は言う。

「この香香背男はわれわれの手に負えない。

もし、こいつを何とかしてくれるなら、
我々は容易にこの国をおさめることができるのに・・・」

そう二神は天神に向かって嘆いた。

そこで天津甕星討伐に選ばれたのが、
天神最強の神「手力男之神」であった。

さあ、天の最強神と、地の最強神の対決である。

手力男は地に下るや否や、期待に違わず
天津甕星を見事打ち破り追放に追いやった。

そして、ようやく天津神たちも安心し、
ニニギノミコトを立てて、
無事に天孫降臨が果たすことが出来たのだ。

こう書くと、なにやら天香香背男が
天神に背く不遜な悪神のように思われるが、
香香背男は香香背男なりに、
国を護るのに必死だったのだ。

また、天の命を受けた手力男も
涙を呑んで使命を果たしたことを忘れてはならない。

この天津甕星こと天香香背男には、
また別名がある。

そして、この神、実は「神懸り」を行う際に
無くてはならない凄い神様なのである。

力があるだけでなく、奇魂(くしみたま)という、
智恵を司る霊魂そのものの化身であることを
証明する一文をここに紹介する。

それは「神文(しんもん)」という。

鎮魂の際に用いる祝詞文で、
出口王仁三郎聖師が作ったものである。

長文であるが、その一部を抜粋する。

『・・・天勝国勝奇魂千憑彦命
(あまかつくにかつくしみたまち
よりひこのみこと)と称へ奉る、

曾富戸(そほど)の神、またの御名は、
久延毘古(くへびこ)の神、
是の斎庭(ゆには)に仕へ奉れる、

正しき信人等(まめひとら)に、
御霊幸(みたまさちは)へまして、
各自各自(おのもおのも)の御魂に、
勝れたる神御魂(かむみたま)懸らせ玉ひて、

今日が日まで知らず知らずに犯せる
罪穢過(つみけがれあやま)ちを見直し、聞き直し、
怠りあるを許させ給はむことを、
国の大御祖(おおみおや)の大前に詔らせ玉へ・・・・』

この「久延毘古の神」というのが、
実は天香香背男のことなのである。

古事記に・・・

「久延毘古は、今に山田の曾富戸と言う者なり。
この神は足は行かねども、ことごとに天下の事を
知れる神なり」とある。

(歩けないけれども、天下のことなら
何でも知っている知恵深い神である)

まさに「天勝国勝奇魂」である。

大国主之命が出雲の美保の岬にいるとき、
流れついたる小さな神がいた。

その神に「汝の名は?」と聞いたが
答えなかったので困り果てていると、
たにぐぐ(ガマガエル)が、

「それなら久延毘古に聞いてみるとよいでしょう」
と言うので、久延毘古の神を呼んだ。

呼ばれた久延毘古は即答した。
「それは少彦名の神です」

大国主之命は、誠かと疑い
神産巣日神(かむみむすびのかみ)に
確認したところ本当だった。

このように、久延毘古の神は、国をおさめた
大国主でさえ知らぬことを知っていたのだ。

先の祝詞に出て来る久延毘古を「天勝国勝奇魂」
と讃えることからしても、その聡明さは伺える。

(意味〜天のことに勝れ、地のことにも勝れた、
天地のことについて何も知らぬことはない
知恵の持ち主のこと)

子供の頃知らず知らずよく歌った歌で
「山田の中の一本足の案山子・・・」という
歌がある。

曾富戸とは、案山子のことである。
案山子は香香背を蔑称し、見下した姿なのである。

いつの世も敗者の末路は哀れであるが、
この香香背男も例外ではない。

世評は辛い。
いつの世も、敗者は常に被差別の役割を請け負う。

久延毘古の「くへ」とは、崩れた、
垢にまみれた男(彦)と言う意味である。

私はこの天津甕星という美しい名と、
久延毘古という蔑視された二つの名をもつ
この神を思うと心が震え涙が出る。

風にさらされ、雨に浴び、鳥や獣につつかれ、
暑い日も寒い日も不服を言わず、誰にも感謝されず、
ただじっと田(地上世界)を守るため、

腕を広げて虚空を見据えて、
直立する案山子(かかし)の雄姿に
武の本義を見る思いがする。

姿醜く、名は卑しい、しかし、国を護らむとして
一人立ち尽くすその内に秘める実力はまさに
地上最強の神であったことを覚えていてほしい。

素盞鳴之神、手力男之神、そして天香香背男神。

陰で体を張って、命をかけて国を護ってきた神々がいた。

あの型「布留」は、
そのような武神たちの息吹が込められている。

型を演ずるに・・・

なぜ星状なのか。

なぜ案山子のようなポーズなのか。

また、岩戸を開くような動き。

闇の道を足元を確かめながら歩く歩き方。

そして、手を剱に変えて八力を打つ。

・・・この型の場合、動きが先行して生まれた。

そして、今その意味が一つずつ解けてきた。


続く・・