特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座558


苦悩の時期の記録 1


今回紹介するものは、若い日の自分の技を観、
心を観て書いたものである。
17歳から30歳後半ぐらいか。

一人苦慮したころか。
文面が厳しい。いい加減だ。

空手も実験的にやっていた頃。
まだ剱の技を素手に転化させようとしていた。

今読めばかなり幼いものの、
こんなころもあったと、そして
いまに通じるものもあろうと思い参考のため
あえて記す。

このようなノート30冊ほどあり。
小さな手帳、紙切れ、広告の裏など含めれば
さらに山ほどあり。

思いつけば、すぐ書いた。忘れぬため。

自分の技を観察し、記録する習慣は
空手の内弟子時代に身についた。
芦原先生の影響であった。

いま読み返せば面白し。それなりに可笑しい。

古い記録ノートでは私が17歳の時からのものがある。

明確な年月日などは、
いつもように記録する習慣のない私。
はっきりわからないのは勘弁願う。

いま手元にある縁で、
今回はある小さなノートのものをパソコンに打つ。

断片的に殴り書きに書いたものである。
日記ではない。
書きたい時に書いた。

くりかえす、あくまで参考のため。
いまの技ではない。しかしいまの技に通じる。

文の合間に絵をふんだんに書いていた。
絵の解説多し。

この画面に絵を公開できないのが残念。
絵はどんな長文より説得する力あるように思う。

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<以下は約17年前のノートから抜粋>

相手と向かい合ったその時から
息(呼吸)を合わせる。構えてからでは遅い。

技ー体術から入って剱の道に至り、
そして呼吸から水火の世界に入る。
これでようやく技と言えるものがつかめる。


間をしめるー相手に適格に打たせるのである。

同時に自分も打てる、もしくは越せる(かわす)。
絶対不敗の体勢「ウ」に入ると同じこと。
いつでも打てる体勢である。

歩くように突く。
体全身が入っていく。

どこまでも突き通す。
止めるような突きをしない。

祭典で一番大事なことは様式ではなく、
祝詞を読み上げる言霊である。

いくらよい、間違っていない祭式を行っていても
弱弱しい、細い、また刺々しい言霊では、
せっかくの祭典もなにもなくなってくる。

腹から天に届けよとばかりに発する
言霊こそ大事である。
天地を揺るがす水火こそ言霊である。

言霊の妙用を体得し、
活用することが武道の稽古と言える。


言霊ーイキ、呼吸、息、水火、気

体の技から水火の技へ至る。
動から静へ至る。
天地和合の固めの御業、神技、みわざ。

ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、
ここの、たり、ももち、よろずの過程を経て
完成する。

組手は、まず自分が一体何をしたいか。
何の技を使うのか、をはっきりと決めて行う。

相手がいかなる攻撃できても、
慌てず自分のやろうと決めた技
(あらかじめ用意しておいた技)をもって返す。

相手が戦おうとして自分も戦う。
お互い引くところがないのでぶつかってしまう。

体は相手に入っていくが、
気を戦わせないでいつものように、
ふらふらと「気安く」「親しく」入っていけばよいものを、
「さあ、こい!」などと戦闘態勢に入るから
つぶされてしまうのだ。

心安く、握手でもするつもりで近寄っていけばよいのだ。

とにかく戦いではないのだから、
技の交換(交歓)なのだから
リラックス第一であり、和の心ひとつである。

怖い、痛い、恥ずかしい・・・などは捨てよ。
武道の技に親和力を推し進めるのが胆力である。

子供のように無邪気に相手と和せる技こそ求められる。

固いと割れるが柔らかいと復元する。


突こうとするな、蹴ろうとするな、

受けようとするな、倒そうとするな、

ただ自分の持てる技を、型を演武するごとく
悠々としてご披露あそばせ。

突こうとし、相手を飛ばそうと意識するから
「力み」が入り、固くなる。

固くなるからよけい飛ばない。

相手より速く動く必要はない。
ただ、感性のままにリズムをとらえ、
タイミングをほんのちょっとはずすだけである。


技をしかけるということ・・・

1、自分がどの方向へ行くか決める(右、中、左)

2、何の技を使うか決める(突く、打つ、払う)

3、待たずに気迫をもって進んでいく(ウに入る)

4、進んでいって「ウ」に入ったならば、
右、中、左の決めた方向へ行く

5、その際、相手からの妨害があったなら、
あらかじめ用意し、決めておいた技を使う


真っ直ぐに行くなら正面のものをつぶすしかない。
左右へ流れるのなら崩すだけでよい。

自分がどこへ行きたいか・・・
これによって技を決定する。


人の攻防は右旋、左旋がすべてである。

霊衣に増減あり。バイブレーションあり。

対する相手に怪我をさせずに改悟、
改心させる技こそ武道の本義なり。

大神様の広きあつきみたまのふゆをたまわりて
活用せしむること。

人に感動を覚えさせる技。

大本の道にある者としてふさわしい技を伝えるよう
精進せられよ。

奇跡を起こす武道でなくてはならない。

もう時間が無い。
教主様、日出麿先生の現身のある間に
御用にたたなくては。

世にまことの神の力をしろしめす一つの方法として
武道はかっこうのデモンストレーションである。

どうか、その分野を司る神々よ。
大神様の御許しのもと、
われにしばし力を授けたまえよ。

妙なる神力をたまわれよ。
大本の道に決して外れることなく御用をつとめあげむ。

まことの信仰。吾、試さむ。この体もちて吾試さむ。

一時、自力をもって集中し、他力にすべてをゆだね、
鎮魂の状態に入りて相対さむ。

その時、いかなるや。傷つき敗れるや。
奇跡が起こるや。

はたしていかなるや。吾体そして心。

やはり命を捨つる覚悟は必要か?
捨て身となりて、特攻精神となるべきか。

すべてを捨てて、素となりてかかっていくべきや。

技ーああして、こうして、ああなって・・・
とごちゃごちゃとした
網の目のような組み方ばかりに
とらわれているうちはだめなのである・・・
と言う心の声。

組み手の時、意識があり、
それに惑わされているうちは×。

ただ、感性のままに動くこと。


自分に自信がないのは
大神様を信じきっていないからだ。
すべてを大神様に任せきっていないからだ。

大神様の深い愛に包まれた時、
人は絶大なる力を発揚する。
その力は建設的な力であり、破壊的力ではない。

相手が大きく見えるも小さく見えるも
自分の心しだいである。

エネルギーの増減の図。

自力が他力を呼ぶ。
信じる心、努力する態度。

人一倍神の広き深き守護を受ける者として
自信をもって武の道に励めよ。

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一の返し (呼 吸 呼 呼)

引いて、間をとって受け、入って返す


二の返し (吸 呼 吸) (呼 吸 呼)

その場で受けて、その場で返す


三の返し (ウ 呼) (ウ 吸)

入りながら受けて同時返し


四の返し (ウ ・)

出をとらえて入る。 気で受けて攻のみ。


五の返し

気で気を打つ

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1、体で体を打つ  (物質的力学)

2、体で気を打つ 
 
(相手の心に訴える。体で表現し、心を動かす)

3、気で体を打つ

(水火の具現体、遠当)

4、気で気を打つ

(言霊の妙用、心をもって心を動かす)


向上とは、体の技から気の技に入ること。


受けの大別

流しー攻めが伸びたところを受ける
     これ「引く」なり 一の返し

止めー攻めが伸びるところを受ける
     これ「中の位置に立つ」なり 二の返し

押さえー攻めの出るところをとらえる
     これ「出る」なり 三の返し

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多人数掛けについて

目は全体を観る (ボーっと視野を広げて)

構えない

待つか、自ら攻めていくか。

簡単なのは自ら攻めていく方である。

一人を決めて、それに向かってまず制し、
それを楯に次、次と乗り移っていくようにして
片付けていく。

武道の醍醐味は一対一はもとより、
自分より大きい相手や、複数の相手に
立ち向かっていける技をもてるところにある。

世界が相手である。

ゆっくり出来る者は速くも出来る。
速くしか出来ないものはゆっくり出来ない。

初心のうちは、細かいところにとらわれず、
とにかく力いっぱいやらせよ。

水火は、体を速く、超スピードで動かさなければ
重ならない。

慣れるにしたがって水火そのものに力がつき、
体の重ね(スピード)によらなくても
水火が重ねられるようになる。

慢心は成長をストップさせる。

続く・・・