特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座559


苦悩の時期の記録 2


※前回同様、以下の文は日記のように
つけたわけでなく、断片的に記したため
一文ではなく個々の文となっていることを
了解願う。

また自己に言ったのであって、
誰かに説教がましく書いたのではない。
自戒の文であることをつけくわえおく。
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技を使うのは胆力である。

呼吸の数を一分間に4回ぐらいにすると
アルファ波が出やすくなる。

正岡子規の言う。
悟りとは、平気で死ねる心をもつことではなく、
平気で生きていく心をもてることである。

とにかく、物事すべて
気合の入ってないものはだめである。

幽霊みたような力の無いことで
いったい何が出来るというのだ。

人を指導する際、その人の欠点を指摘するには、
三田の活用が的確になされているか否かを
よくみてやること。



蛙の面に小便ではあまりに情けなさ過ぎる。
と言ってもプライドが高すぎるのも困ったもんだ。

だから、やるならやる。やらんのならやらん。
この判断を下す胆力をつけてくれる
武道の稽古が必要なのである。

特攻突きといわれるものあり。
間をしめつつ、相手の打ちを待ち、
相手が打って出るや否や体ごと突っ込んでいく。

「越し」を「組む」で、
しっかり調子、拍子、間をつかまえ、
そしてボルテージをあげていき、
その気を一気に「打ち」にもっていって爆発させる。

とにかく何をするにしても
「入り身」がしっかり出来ていなければだめだ。

体的な間の入り身(距離をつめる)から
水火による間をつめる入り身をつかむこと。


神風特攻隊は、敵艦に体当たりする際に
一度は向かっていって、すぐ引き返して上昇し、
旋回して加速をつけた上、
あらためて力いっぱいぶつかっていったという。

これ、気で飛行機を引っ張ったのである。
いかに気迫が大事であるか。

日本人がなせる水火の技。
螺旋のもつ勢いをつかったのだ。


間というものをしっかりとつかめ。
体による間から気による間。
そして水火による間に至れ。

円運動ではつかいものになる力にはならない。
継続する円の運動を上下、または左右、
または前後にずらして移動していくことで
加速し、打つ力となる。

弱い者は、より弱い者に対し、
強いものはより強い者に対す。

まず、武道を志す者よ。とにかく強くなれ。
ひたすらに強さを求めよ。
話はそれからのことだ。

肉体の強さを得て、
はじめて気の強さを得るのだ。

注意〜神の強さとはを知ることである。
肉体的強欲な強さとは異なる。


鍛錬

第一の時期 ・・・気迫を養う時代

細かいことを気にせず、
ひたすら肉体の力の限界を追求する
強さ本位の剛の時代。


第二の時期 ・・・技を身に着ける時代

第一の時期において肉体の限界を知り、
その壁を打ち破った者が入る時期。

第一の時期で気迫を充分身に着けた者

柔の時代

技は気迫とそれに伴う力(八力)が
充分に備わった者が生かせる。


第三の時期 ・・・空手など既成武道の分野を
越えて「武道」の中核に目覚める時代。

流の時代

水火の鍛錬に入る。
体の力を抜ききり、水火に任せて動く。
常住坐臥水火が技にくいこみ、
何をしても技となる。

自力と他力が同時の存在であることを知る。


1、その場で練る基本の動きにより「剛」を身に着ける。
   (一つの動きに力を加える)

2、移動しつつ打つ動きにより「柔」を身に着ける。
   (技から技のつなぎを円滑にする)

3、相手と実際に打ち合ってみて「流」を身に着ける。
   (水火の鍛錬に至る)


第一、第二の時期を越えて、第三の門が開く。
この第三の時期に入ってはじめて「道」を見出す。

そして剛、柔の規則的な構えは解かれ、
いわゆる表面的な物質的執着を離れて、
水火に身を任せることとなる。


高速の世界に身を没入させることによって
神を感じる。

生命体が高速の状態に入り、
空中分解するような限界点を越える
ぎりぎりのところに遭遇するとき別の世界を見る。

武道において、木剱を用い、
水火の加速をもってこの限界点に挑む。
そして神を知る。

超高速〜絶対的動、もしくは
超低速〜絶対的静の状態のどちらかに身をおくことで
神の水、つまり存在を感じる。


真っ直ぐに入っていくから
左右に回り込むことが出来る。

入り身から入り、呼→吸の旋回


線を描く〜体の真正面の懐において
螺旋の渦をつくる。
腕は左右対称。

手のひらに空気を感じつつ、
空気を動かすつもりで動く。


時計の針でも一秒動くのに、
内側においては
多数の歯車が連結し作動している。

これをみてもわかるように、
突き一本突くのでも、
腕だけで突いているのではない。

さまざまな骨、筋肉、血管、神経などの
目に見えない部分の働きのおかげで
突きがなりたっていることを忘れてはならない。

この内面の働きを意識して、
そこから湧き出る力を外に放射するように行う。

意識をもつのと、持たないのとでは
まったくその力が違うのだ。


時に剛になり、時に柔になり、時に流になる。
変化自在なるこそおもしろけれ。

強い信仰により、強い守護神をもつこと。
それにより肉体と精神も強くなる。

時に風になり、時に山となる・・・
千変万化こそ自然の姿、妙味なり。

武道の立ちあいはかくあらん。


おのれがつくったおのれにとらわれるな。

こうあらねばと自分を縛る自分を捨てよ。

時々刻々、瞬間、瞬間に
的確に変化するこそ自然なり。

ただし、自然の中にある秩序を
忘れてなならない。


剛となり、柔となり、流となり、
すべてを包括してすべてを忘れ、
臨機応変に変化せよ。

動くも止まるも、その時々の思いのままである。
自分の感性を信じ、それに乗って立ち合え。

感性を磨くことが稽古である。

武道を続けるもの、
生涯第一線における戦士であり
たいがためなり。死ぬまで命がけ。


良いところを見せようとするから
緊張し疲れる。

どうあっても、どうもがいても
自分は自分でしかない。

自分以外に出しようが無く、
自分のもてるもののほかに
何も出てこようはずもない。

前田は前田しか表現できない。
だからよいのである。

武道において本当に素晴らしいのは
自由奔放さである。

時所位に応じて思い、動く、その時の緊張が
たまらなく面白い、楽しい。

向上心がある以上人は絶対進歩してやまぬ。

今日の動きと、明日の動きは違うのである。

たとえアリの歩みでも進歩しておれば大成功だ。

人がどう思おうが構わぬ。

前田は前田自身を完成させればそれでよい。

時々刻々神に祈りつつ
一歩一歩踏みしめていけばよい。
それだけだ。


続く・・