特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座92


稽古における想念(5)


ご承知の様に、一つの例をとれば、和良久の稽古では、
倒す、斬る、殴る、締める、などの戦闘的言語は必要がなく、
使用していません。

ひたすら剱を旋回させて八力を練磨します。

相手とは「息」を合わせることを主に置き、
決して相手の動きにくい行動はとりません。

例えば、相手に向って剱を打つにしても、「やっつける」と
思って打つのではなく、「相手に力を与える」ために剱を
用いて打ちを行うのです。

そして剱を通じて「力をもらった」相手側は、
今度はその力を剱の旋回力によって力を増幅させ、
また相手に「お返し」するのです。

その増幅された力を返してもらった相手は、
益々パワーアップしていくというシステムになっています。

つまり相手を力づけるとともに、
自分も力をつけていくという技の交歓を稽古で楽しむのです。

破壊のために打つのではなく、そういった「創造」のために稽古を
行うのが和良久です。

「言葉は神なり」と聖書はとなえます。
その言葉は息(水火)によって生まれました。

すべては「息」が原点です。
その息の元が「霊」です。

霊は神により活かされています。

息の運用によって神の偉大さを知ります。

この息の発生により起こる力の「運用を司る」のが武道の分野なのです。

息により力が生れ、そして日常の行動があります。

鍛錬にはふたつあると言われています。
「言葉の鍛錬」と「息の鍛錬」です。

武道は「息の鍛錬」に属します。
(ちなみに音声の分野が和歌といわれています)

そういった意味で、能楽はその息と動きの調和を見事に表した
素晴らしい芸能の一つであると存じます。

このように痛みを伴わず、また相手と競うという想念の湧かないもの。

しかも動きにいやらしさがなく「凛として」、心身の向上できるもの。

そういった条件を満たしたものがきっと「みろくの世」に残る
稽古事ではないかと存じます。


続く・・・