特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座257


「間について」


「間」は、人が生きていくうえで
最も心得ねばならない大事なもののひとつです。

人間関係は、まさに間の取り合いです。

間の取り方如何で、人間関係が左右されます。
それは現代においては、ビジネスなどで
活用されていることではないでしょうか。

回顧録にも書きましたが、
私が若いころマツダの営業で
急にトップセールスマンになれたのも、
特に特別な手法を用いたわけではなく、
やはり武道の稽古による間の取り方が
深く影響したものと思います。

行くべき時に行く、離れるべき時に離れる、
相手が欲しい時に渡す、聞くときに聞く、
真面目になる時に、これ以上にない
真剣さを出す、くだける時にくだける・・・

などの間を見計らいながら行動した
結果なのだと思います。

間には、時間と空間の間があり、
これは時の間、空(場)の間と
言いかえればご理解いただけると思います。

間が詰まり過ぎると熱くなり、
間が遠くなりますと冷えてきます。

つまり、人は親しいからと言って
常に近づき過ぎると(間を締めたままですと)、
相手のことが見えすぎて、
また自己の行動範囲も限定されてしまって、
結果双方が自己の保全のために
相手と対立してしまいます。

これは生物が生存するための
本能といってもよいと思います。

逆に、遠くなりすぎると、
相手が見えなくなり、
見えなくなると忘却の彼方に消えていくか、

または・・・

「あの人は私を避けている。
私の悪口を言っているに違いない。

そういえば、あのことも、このことも
あの人が撒き散らした私への
非難攻撃に違いない」

・・・などと疑心暗鬼が生じて
敵愾心が起こったりします。

いずれにしても不適切な間の取り方に
問題があるゆえでしょう。

近からず、遠からず、常に一定の間を保持し、
時に間を締めて友好を暖め、
また離れていき、そして間を取り合うのです。

まさに人間関係は毎日が
「立ち合い」の連続だと思います。

打つときには思い切りよく打ち、
待つときには、辛抱強く待ち続けることです。

時間の間、空間の間・・・
この両者を上手にコントロール
出来るようになったとき、
人は真の「人間」としての活動を
開始することでしょう。

そういう意味で、人は「間」を心得てこそ
人間というのではないかと思います。

お互いに思いやりを持ち、
信じあい、愛し合うこと、
我々凡人がそうなるためには、
やはり常の心がけと鍛錬が大事かと存じます。

「神も時節にはかなわぬぞよ」と言われます。

総てには「時」があります。

時がすべてを支配していると言っても
よいかも知れません。

聖書の「伝道の書」の章には、

「すべてのわざには時がある。

生きるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

壊すに時があり、建てるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
・・・中略

神のなされることは皆その時に適って美しい。

すべて神のなさることは永遠に変わることがなく、
これに加えることも、これから取ることも出来ない。

今あるものは、すでにあったものである。

後にあるものも、すでにあったものである」

私は、師が言われた言葉で最も好きな言葉で、
「永遠に変わらないものにこそ価値がある」
と言う言葉があります。

若い時分、果たして永遠に変わらないものなんて
この世に存在するのだろうか・・・と
疑念をもっていました。

しかし、稽古が進むに連れ(特に中の剱に入って)
水火の実在が明るみになるにつれ、

瞬間と永遠、分裂と調和など
相反するものが実は同時に存在していることが
少しづつ理解されてきました。

自他の水火を合わせる、と言うことも
微妙な間のとり方によります。

「間」が「魔」となる可能性も十分にあります。

しかし、上手に行うと「真」となります。
これこそ和合の基でしょう。

悪魔も間を心得ています。

彼らの間は、不均衡で、
秩序も中身も無い空洞です。
これを「隙」と言います。

それは神のつくり給うた秩序である
「間」を崩すため、間をとって、
今か今かと入り込む隙をうかがっています。

我々の隙を常にうかがい
チャンスを待っています。

心に風が吹くとき、
それは悪魔の間に入った時と
いえるかも知れません。

悪魔に支配されぬよう、
いつも心の中を祈りで満たしておかねばなりません。

抜き身の中にいるつもりでいなさいと
神は言います。

「立ち合い」の稽古により、
それを具体的に身に着けます。

神の国は言葉ではなく力(水水火)です。

生きているうちに水火の力を培いましょう。
霊界において通用する力を
生きているうちに学ぶのです。

死んでもなお生きる力こそ水火です。

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『最後に言う。

主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい。

悪魔の策略に対抗して立ちうるために、
神の武具で身を固めなさい。

私たちの戦いは、血肉に対するものではなく、
もろもろの支配と、権威と、闇の世の主権者、

また、天上にいる悪の霊に対する戦いである。

それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、
完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、
神の武具を身につけなさい。

すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、
正義の胸当を胸につけ、

平和の福音の備えを足にはき、
その上に、信仰のたてを手に取りなさい。

それをもって、悪しき者の放つ火の矢を
消すことができるであろう。

また、救いのかぶとをかぶり、
御霊の剱(つるぎ)、すなわち、
神の言(ことば)を取りなさい。

絶えず祈りと願いをし、
どんな時でも御霊によって祈り、

そのために目を覚ましてうむことがなく、
すべての聖徒のために祈り続けなさい』

エペソ人への手紙 第6章


続く・・・